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藤原ていとfinalventに関するmshkhのブックマーク (2)

  • [書評]祖国とは国語(藤原正彦)・父への恋文(藤原咲子): 極東ブログ

    流れる星は生きている(藤原てい)で、当時26歳の藤原ていは、6歳の長男正宏、3歳の次男正彦、1か月の長女咲子を連れて壮絶な満州から引き揚げた。「祖国とは国語」(藤原正彦)はその次男、「父への恋文―新田次郎の娘に生まれて」(藤原咲子)はその長女が、それぞれ、それから半世紀の時を経て書いた作品である。 「祖国とは国語」は、数学者藤原正彦が雑誌などに書いたの軽妙なエッセイをまとめたものだが、なかでも雑誌「考える人」に掲載された「満州再訪記」が満州引き揚げに関連して興味深い。彼は、半世紀の年月を経て、彼は自分が生まれた満州の地を母と訪れたかったというのだ。帯の引用がよく伝えている。 混乱の中で脱出した満州の地を訪れることは、長い間、私の夢であった。母の衰えが目立つようになったここ数年は、早く母と一緒に訪れなくては、と年に何度も思った。母が歩けなくなったり、記憶がさらにおぼろになったら、二度と私は、

  • [書評]流れる星は生きている(藤原てい): 極東ブログ

    「流れる星は生きている」(藤原てい)は満州にいた日人家族の引き上げの物語である。家族といっても、この物語に夫の藤原寛人(新田次郎)はなく、26歳の、藤原ていが、6歳の正宏、3歳の正彦(藤原正彦)、1か月の咲子(藤原咲子)のみだ。この幼い子どもを連れて、若い女性が死線をさまよいつつ壮絶な脱出劇を展開する。 この物語は、戦後の大ベストセラーとなり、ある一定の年代以上の日人なら必ず読んでいるものだ。あるいは、書籍で読んでいなくても、テレビでもドラマ化されたので、知らない人はない。 しかし戦後60年近い年月が去り、この物語を読んでいない日人も増えてきたようにも思われる。日人ならこのを読まなくてはいけない、とまで言うつもりはない。率直に言って、現代の日人がこのを直接読んでも、かつての日人が読んだときとはまったく異なることになるのではないだろうか。 このが当初、出版され、読まれた時

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