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ブックマーク / fujinkoron.jp (2)

  • 萩本欽一 80代、妻を亡くし、体は動かず…。『全日本仮装大賞』と『ラジオ深夜便』を手放したのは、新しい挑戦のため YouTube「欽ちゃん80歳の挑戦!」で小堺一機や関根勤とコラボも|芸能|婦人公論.jp

    数々の冠番組をヒットに導き、「視聴率100%男」の異名をとった萩欽一さん。活躍の場はテレビにとどまらず、64歳で社会人野球チームの監督を務めたり、73歳で大学に入学したりと、年齢にとらわれない挑戦が注目を集めてきた。しかし昨年80歳を迎え、大きな壁にぶつかったそうで──(構成=平林理恵 撮影=洞澤佐智子) 50代で合格しても、誰も面白がらない 「おまえは才能がない。やめるなら早いほうがいいぞ」と演出家の先生から言われたのは、コメディアンの修業を始めて間もない頃です。まあ、自分でも薄々気づいていたこともあって、この言葉にすごい納得しちゃったのね。それで才能のない人間なりの闘い方を探し始めた。 大勢で同じスタートラインに立って「ヨーイドン」をすると、絶対に負けると思ったから、競争相手ができるだけ少ないところ、できれば誰もいないところへ出ていこう、と。それなら僕でも一番になれちゃうじゃない。

    萩本欽一 80代、妻を亡くし、体は動かず…。『全日本仮装大賞』と『ラジオ深夜便』を手放したのは、新しい挑戦のため YouTube「欽ちゃん80歳の挑戦!」で小堺一機や関根勤とコラボも|芸能|婦人公論.jp
    muamqm
    muamqm 2022/05/19
  • いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp

    芸歴37年、女優・タレント活動を続けながら、大学院へ通う学生生活を送っている、いとうまい子さん。45歳で大学進学を決意した経緯と、現在の日々について聞いてみると――(構成=内山靖子 写真提供=いとうさん) 夫の言葉に背中を押されて 芸能生活25周年を迎えたころ、社会に対して何か恩返しがしたいと思うようになりました。18歳でデビューして以来、この世界で仕事を続けることができたのも、長年、私を支えてきてくれたスタッフや仕事関係者、ファンのおかげ。周囲の方々に、何らかの形でお返しをしたかったのです。 でも、高校を卒業してすぐに芸能界に入った私は、恩返しの術を何も持っていなかった。そこで、まずは大学に入ってさまざまな知識を身につけ、自分にできることは何かを考えてみたいなと思って。 とはいえ、ドラマやバラエティ番組の仕事をしながら大学に通うのは時間的にかなり厳しい……。なかなか踏ん切りがつかないまま

    いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp
    muamqm
    muamqm 2021/02/26
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