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き金光翔と在日朝鮮人に関するmujigeのブックマーク (5)

  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 4 | 私にも話させて

    2-3.姜尚中と「愛郷心」 ところで、最近の姜尚中と言えば、二言目には「故郷」の熊への愛を表明し、「愛郷心」「パトリ」の価値を称揚することで知られる。姜の「愛郷心」の称揚は、今や小林よしのりですら引いてしまう(注8)レベルに到達している。 姜が、こうした立場を強く打ち出してきたのは、管見の範囲では、『愛国の作法』(朝日新書、2006年10月刊)が初めてである。同書から、いくつかの発言を引用しておこう。 「わたしにも自分が生まれ、育った地、熊への愛着があります。もっとも、ケンタッキーの黒人たちとは較べようもないにしても、やはり差別と賎視に堪えなければならなかったことは言うまでもありません。しかも、父母に連なる世界(韓国・朝鮮)は、劣った否定的なイメージにおおわれていました。直接、そう指摘されなくても、いつもそう刷り込まれていたのです。」(150頁) 「「郷土」への愛着は、わたしの中に身体

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 4 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/04
    日本人の側としては、なぜ日本で「姜尚中」というアイコンが必要とされているのかを考えるべきだろう。
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて

    2. 前置きが長くなった。もう一つ補足しておくと、今回の主題は、姜の転向をどのように位置づけ、それをどのように批判するかであって、転向それ自体を倫理的に批判する、というものではない。もちろん、転向それ自体への倫理的な批判もあってよいと思うが、ここではそうした点に重きを置いていない。 だが、姜のファンや擁護者たちは、姜が転向したなどとんでもない誹謗中傷だ、と言うかもしれない。姜自身、ごく最近でも、以下のように発言している。 「これまで左だった人が一挙に右に傾くこと、あるいは、これまで中間だった人が一挙に右か左に変わること、これは由々しいことです。大切なことは、ブレないことではないでしょうか。 自分自身の最小限の矜持として言えることは、私は変わらなかったのではないか、ということです。学生時代から三十数年経っても、あのとき言っていたことと、いまの考えに変わりはありません。韓国の民主化により、日韓

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/02
    姜尚中の変化を感じたのは東大教授に就任したころ、朝日新聞のインタビューで「最近は永野鉄男という日本名が懐かしくってね」と述べているのを読んだとき。そこからは坂を転げ落ちるようだ。
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 1 | 私にも話させて

    1. 「AERAムック」なるシリーズで、姜尚中の『AERA』連載記事を中心にまとめた、『姜流』なるDVDつきの(ムック)が出た。 http://www.aera-net.jp/editorial/blog/090724_001010.html 書店で書名を見かけたときは、「またやってる」という感想しか持たなかったが、中身を見てみると、佐藤優との対談(『週刊朝日』2006年12月1号)が収録されている。佐藤とのこの対談は既に読んでいたが、私が「<佐藤優現象>批判」を発表して以来、私のものも含めていくつかの佐藤批判が出ているにもかかわらず、同書へのこの対談の収録を了解したことは、姜が佐藤および<佐藤優現象>を擁護するということの意志表示である、と見なしてもよいだろう。 私はこれまで、姜尚中については、折に触れて批判的に言及することはあっても、これまでの功績に鑑みて、まとまった形での批判はして

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 1 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/02
    空気の読める(読み過ぎる)人みたいだから、たぶん日本の変化に合わせているんだろう。
  • lmnopqrstuさんの批判に答える(末尾追記) - Arisanのノート

    詳細な批判をありがとうございます。 Arisan氏の「金光翔さんの記事を読んで」を批判する http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090325/1237935617 まずはじめに言っておきたいが、はじめの方に、 そんな一般的過ぎることを金光翔氏に諭してどうするのか? とあるけれども、ぼくは金光翔氏の文章に対して自分の感想と見解を述べ、あえて言えば批判を加えただけであって、決して「諭した」つもりはない。 事実上そうなっているではないかというのが、ぼくへの批判の趣旨かもしれないが、それはそれとして、ぼくの意図はご理解いただきたい。 さて、言及されているぼくの文章の箇所についてだが、論が一般的であって何も言っていないに等しいとか、それが植民地主義の発想に近似しているという批判は、たしかにそうした点が自分の考えや文のなかにあるかもしれないので、批判として受けとめてお

    lmnopqrstuさんの批判に答える(末尾追記) - Arisanのノート
  • Arisan氏の「金光翔さんの記事を読んで」を批判する - lmnopqrstuの日記

    08:00 以下、id:Arisan氏の「金光翔さんの記事を読んで」http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090324を検討します。  まず議論の前提となる金光翔氏の文を引用する*1。 日人の(それも左派の)中には、朝鮮総連から被害を受けた在日朝鮮人の声を持ち上げて、朝鮮総連への日政府の弾圧を正当化・容認するような議論も散見される。そうしたケースで、被害者に対して朝鮮総連の責任が問われるのは当然であるが、そのことと、日政府が在日朝鮮人の財産権、結社の自由といった基的人権を否定することとは、次元が全く異なる。そうした議論は、在日朝鮮人の自己決定権の否定が前提となっているのだ。  この文に対してArisan氏は次のように批判している*2。番号及びスラッシュは引用者が挿入したもの。スラッシュは原文の改行箇所に該当。 1 「被害者に対して総連の責任が問われる」という

    mujige
    mujige 2009/03/25
    “帝国がどういう「論理」を駆使して植民地の諸民族を征服・統治したのか…自分たちのことを自分たちで解決できないお馬鹿な民族…朝鮮人の…矛盾を解決するのは、日本人/大日本帝国である。”今も残る植民者意識。
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