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外山恒一に関するmujigeのブックマーク (3)

  • 論じる気がありません

    論争する気がありません 1997年8月25日 先日、宮台真司とその周辺の「30代文化人」を批判する論文を書いたら、「ちっとも論文の態をなしていない」「おまえは物事をきちんと論じる気がないんか」という批判をいただいた。どこからいただいたかというと、自分で出したのである。 自己批判に応じよう。 論じる気は、ない。 考えてもみよ。ぼくが宮台真司や浅羽通明や岡田斗司夫や宮崎哲弥や……といった30代論客たちに真正面から論争を挑んだとして、勝てると思うか? 勝てるわけがない。 ぼくの標榜する立場が間違っているから勝てないのではない。論争技術がないから勝てないのである。 それでは論争技術があれば勝てるのか? 勝てる。 ではなぜ技術を磨く努力をしないのか? 努力で技術が身につくわけではない。技術を身につけるために必要なのは「環境」である。 環境? しかり。こちらのレベルに見合ったほどよい論争相手が探せばい

  • 『『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』をやっと観た』

    ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。 ものすごく遅ればせながら、昨夜ストリート・ミュージシャン稼業から帰ってきてから、深夜の塾舎で1人、『実録・連合赤軍』を観た。 正直、とっくに左翼をやめてファシズム転向した私にとって、72年の連合赤軍事件はあまり重要ではなくなっている。自分のことは抜きに考えても、連合赤軍よりも反日武装戦線の方が、思想的には重要な問題だと感じている。連合赤軍事件の「以前/以後」で語られる左翼運動史には、大きな違和感を持つ。むろん私は20代をとおして笠井潔の圧倒的な思想的影響下にあったから、その時期にはやはり連合赤軍事件「以前/以後」というフレームで考えてもいたのだが、異端的極左活動家としての現場体験を深めていくうちに、そんなものはかなり瑣末なエピソードで

    mujige
    mujige 2009/05/10
    “本当に重要なのは70年の華青闘告発と74年の反日武装戦線の方ではないのか” 同意。
  • 『絶対に裁判員に選ばれないために』

    日々報道等に接して、思うところを書き記すという、ブログ的にもっとも真っ当なことをいずれココのメインにしていくつもりではあるのだが、革命家養成塾・黒色クートベの効率的な運営スタイルがまだ確立していない現時点では時間的・精神的に余裕がなく、ちょっと難しい。 ま、いずれそのうちということで。 今日は、今まで某誌のための原稿を書いていて、書き終わって中途半端に時間が余ったので、ちょっと書いておく。 裁判員制度である。 「来年から始まる裁判員制度で、裁判員候補者に選ばれた人への通知書が29日から届き始めた」とのことだ。いよいよ始まろうとしているらしい。 私はこの新制度に大反対である。私は民主主義に反対するファシストなのだから当然だ。そこらへんの奴らに一票を与えることにさえ反対なのに、まして確実に特定の個人の人生を左右する重大で決定的な判断に、そこらへんの奴らを参加させてはならない。 専門家であるはず

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