1997年8月23日 朝まで生テレビ「誰のせいだ! ニッポン」を見た。 新聞のTV欄でタイトルを見て、フリートークの状況論をやるのだろう、例によって例の連中が出演するのだろうと想像した。 果たしてその通りだった。 司会は田原総一郎、レギュラー陣からは小沢遼子や舛添要一らが参加している。パネラー席片側に、彼ら年長世代の論客が並び、もう片側に「例の連中」が坐っている。 岡田斗司夫、宮崎哲弥、藤井良樹、切通理作といった「30代(「若手」)文化人」である。 「世代でくくられたくない」という云い方がぼくは嫌いである。くくられたかろうとなかろうと、「世代」というものは確かに存在するし、「世代」から自由であることは(とくに時代状況を語る「論客」といった人種にあってはなおのこと)難しいからである。 現に、彼ら30代論客たちは、彼らの世代独特の状況認識をおおよそ前提として共有した上で物事を論じている。彼らと