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外国人被爆者を忘却させ、「日本だけ被害」が浸透 「またか」。一度定着した表現はなかなか改まらないな、とつくづく思う。久間章生防衛大臣の「原爆発言」をめぐる動きや報道で氾濫する「唯一の被爆国」という表現である。 周知のように、久間防衛相は6月30日、千葉県柏市での講演で「原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っているところだ」(7月1日付毎日新聞)と発言した。これに対し、被爆者団体、平和団体、野党、政治家らから一斉に「米国による原爆投下を容認するものだ」と抗議の声が上がり、マスメディアも批判的な論説を展開した。このため、当初辞任の意思はなかった久間防衛相も7月3日、ついに辞任に追い込まれた。 ところで、私にとってやりきれなかったのは、抗議の談話や批判の論説の中で「日本は『唯一の被爆国』」という言い方が目についたこと
北朝鮮の核実験は道義的には許しがたいことだ。道義はまた踏みにじられた。今回は北朝鮮の「現実主義者」によって。 http://www.asahi.com/international/update/0525/TKY200905250143.html しかし、この道義に反する行為は北朝鮮の戦略的・政略的には当然の選択でもある。 戦略的には核戦力による抑止力を手に入れるために。政略的には体制維持の保証を得るためにアメリカを北朝鮮との直接交渉の場に引き出すために。 北朝鮮は通常戦力において圧倒的に劣勢であり、その格差は時間とともに開く一方。通常戦力のみで考えれば既に韓国一国で北朝鮮を捻りつぶすことが可能なくらい格差が開いている。 そういう北朝鮮にとっては、通常戦力においての非対称を覆して敵の攻撃を抑止する手段が必要であり、そのためには相手に耐え難い報復攻撃を行う能力を得ることが必要であり、核兵器開発
「ヂンダレ」の会の帰り、わたしは、一緒に会に参加をしていたMさんと、そのまま谷九までひと駅歩き、空はまだ明るかったのですが、手頃な居酒屋が開いていたので、当然のことながら、一杯やるべく、そののれんをくぐりました。 本当だったら、わたしはその日、北九州にいるハズで、「ヂンダレ」の会には、99.9%参加できないことになっていました。それが、今もまだおさまっていない、あの極めて日本的な現象と言っても過言ではない、インフルエンザ狂騒のせいで、0.01%以下の可能性であった「ヂンダレ」の会に参加をすることになったのでした。いかにも日本的な現象によって、わたしは、「在日」の歴史に関わる会に参加をすることになったという、なんというか、これが因果というものなのでしょうか。けれども、その因果に導かれてくぐったのれんのもと、わたしは、これから「在日」として、どのようにして生きていったらいいのかと、生ジョッキ
前日のエントリにトラックバックをいただきました。 うさたろう日記 はてな版。 http://d.hatena.ne.jp/usataro/20090526/p1 まずはお忙しいところをお邪魔して申し訳ありません。 念のため書き添えますと、id:usataroさんのコメントに対し、訂正や削除を要求するような意図はありません。今回の僕の行動は、核実験という「暴挙」(強い口調で「度し難い愚挙」とかいうべきでしょうか?)に対する「義憤」を――北朝鮮という(「弱小国家」と見られているとはいえ)とても個人では対抗できない集団ではなく――市井の文筆家であるid:mujigeさんにぶつけてうさを晴らしているだけなのではないか? という疑問を感じたことによるものです。本当に憤りを感じるのであれば、北朝鮮の独裁体制が崩壊するまで、自分のメディアで、自分の言葉で批判を続けるべきで、ブックマークコメントを残すだけ
※漢字(かんじ)の苦手(にがて)な人(ひと)は左(ひだり)メニューにある「かんじ→ひらがな」をクリックしてください。 ※If you want to read this blog in Roman, please choose "Japanese into Roman" from the left menu. 北朝鮮バッシングは「フェーズ5」:震源地・日本より 25日に北朝鮮が行った地下核実験をめぐって、北朝鮮バッシング(「フェーズ5」*1)が震源地・日本各地で猛威を振るっている。 例によって、翌朝には各紙が2段ぶち抜きで北朝鮮バッシング社説を組んでいるが、どれも変わり映えのしない内容で、ハンバーガーとハンバーガーとハンバーガーとハンバーガーとハンバーガーが並んでいるような感じである。新聞社も最近は不景気らしいから、いっそのこと、もう全紙が合併したらいいんじゃないだろうか。少なくとも、北朝
言語学, 差別 『ヴァーチャル日本語役割語の謎』(金水敏著、2003年、岩波書店)という社会言語学の本がある。 この本で筆者は、近代日本の小説や漫画、ゲームなどの創作媒体において、共通日本語(大日本帝国では文章での公用語は漢文訓読体の古典日本語であったが、口語では東京方言を基盤とした共通日本語が公用語であった。日本国では、無論文語口語共に、首都圏方言を基盤とする共通日本語が、公用語である)から離れた言葉が、ある特定のステレオタイプをもった階層、民族、職種に属する登場人物の発話に使われ、その人物の性格や物語上の役割を、ステレオタイプを利用して簡潔に印象付けるという現象、『役割語』について紹介すると共に、そのような『役割語』を割り振られた人物は、創作媒体を利用する者が自己同一化を行う主人公(ヒーロー、ヒロイン)にはなりにくいような仕組みが存在していると述べている*1。そしてそれは、近代国民国家
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