明治三十八年、石村萬盛堂は川上音二郎が所有していた中村馬小路の実家の長屋を借りて誕生しました。 川上音二郎といえば、「オッペケペー」で知られる博多生まれの新劇の祖。 その音二郎が、創業者、石村善太郎の人柄を大変気に入って、二八歳で萬盛堂を創業するときにも何かと力を貸してくれたそうです。 鶴乃子が生まれたあの長屋は、戦災によって失われましたが、その面影は須崎町の石村萬盛堂本店に今もなお見ることができます。 鶴乃子のまあるい箱をそっとなでてください。 手のひらにやさしくなじむ、自然なふくらみがあることにお気づきになるはずです。 創業者石村善太郎は、「競争はするな勉強をせよ。 人が角いものを作ればこちらは丸いものを作れ」とよく言い、人と争わず、共生しようとするこころを持つこと、そして人の真似をせず独創的な菓子づくりをする、 を信条としていました。 その精神から生まれたのが鶴乃子であり、鶴乃子