私ごとですが、この前のクリスマス、3歳の娘にシルバニアファミリーの家と人形をプレゼントした。ネットで購入した家が届いたとき、妻が「そういえば、子供の頃におじいちゃんが作ってくれたドールハウスが実家にあるはず」と言った。「すごい団地っぽかった」という。 団地っぽいドールハウスって何だ?と思ったけれど、正月に帰省したときに発掘したところ、何もかもが想像以上のシロモノが出てきたので紹介させてほしい。
![お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった :: デイリーポータルZ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4b624e6857593e389f044befb084237e1fc8d86a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fdailyportalz.jp%2Fapplication%2Ffiles%2F2015%2F9966%2F5237%2Fb__2018_02_23_a_img_pc_top.jpg)
明治中期から後期の #多摩川 は上流部の森林が荒廃しており、渇水や濁水が頻繁に発生していました。そのため #尾崎行雄 東京市長は東京市が水源林の経営を行うべきと決断し、水源地帯の買収、植栽や崩壊地の復旧などの施策を講じました。その結果現在の豊かな水道水源林が形成されることとなりました。 pic.twitter.com/U8qHfdIXFm — 東京水道株式会社【公式】 (@Tokyo_Water_Co) July 19, 2022 先日、東京都の持っている巨大な水源林にいってきた。 デジタル技術も都市を支えるインフラの一つになりたい。その際、水道局、下水道局、港湾局、交通局などの既存の都市インフラの先輩部局の在り方が参考になるのではと思いインフラ系部門の現場に時間をみては行って話をきいてる。 これが毎回、滅法、面白い。今回は水道局の奥多摩から山梨県甲州市にかかる水源林に行ってきた。以前に行
多摩ニュータウンができて50年以上。総面積約3000ha、計画人口34万人という日本最大のニュータウン計画だったがゆえに、「第四の山の手」から「陸の孤島」「オールドタウン」まで、よくも悪くも世間の注目を浴び続けてきた街だ。 現代の東京に住んでいると当たり前の存在になっているが、「巨大な実験都市」とも言われるように、実は日本史上でも二度とあらわれない、貴重な場所なのかもしれない。 建造物は50年たつと文化財の仲間入りできるというけれど、一方で多摩ニュータウンは生きた街である。東京都は2040年代を見据えた都市計画を立てているらしい。 多摩ニュータウンの過去から未来へ。 これを機に、ニュータウン以前の多摩丘陵の面影、多摩ニュータウン黎明期、バブル~平成の多摩ニュータウン、そして未来の多摩ニュータウンについて…四世代にわけて、実際に歩いてみたい。 多摩ニュータウンのなにがすごいのか 1971年、
沢山書いたやで ・実名主義 80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。 職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。 ・MDMA(エクスタシー)の不使用 MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。 心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。 ・マリファナの不使用 90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵
32年もの間、村長の椅子に鎮座してきた 大分県東国東ひがしくにさき郡姫島ひめしま村(人口1930人、2017年3月1日時点)は、瀬戸内海にぽっかりと浮かぶ日本有数の「一島一村」の自治体である。 2016年秋、そんな島で、歴史的な事件が突然起きた。 〈61年ぶり村長選へ、来月の姫島村長選〉 同年10月18日、大分合同新聞がこんな見出しで大きく報じるなり、島には続々と報道陣が上陸してきた。8軒しかない旅館や民宿は季節外れの繁忙期に突入した。小さな村の騒ぎは大手紙の全国版でも報じられ、その名が知られることとなったのである。 姫島の村長選は1955年にあった一騎打ちを最後に、16回も無投票が続いた。その間、現職の藤本昭夫(取材当時73)は初当選時からじつに8度も不戦勝。つまり、32年も投票用紙に自分の名前が書かれたことが1度もないまま、島の主の如く村長の椅子に鎮座してきたというわけだ。
2020年8月18日、Twitterでこんなツイートをしたところ、太田記念美術館が2012年にTwitterを初めて以来、一番多い「いいね」の数(この記事の執筆時点で3万3127人)を獲得しました。 江戸時代、すでにカットスイカはあったようです。染付の大きなお皿に、カットされたスイカが山のように積まれていて美味しそうです。ちゃんと楊枝も刺さっています。(現在、作品は展示しておりません。) pic.twitter.com/H3ZcCV9Rmi — 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) August 18, 2020 このツイートを書いたきっかけは、たまたま「マツコの知らない世界」(TBSテレビ)で「スイカの世界」を特集していた際(2020.8.18)、最近のスイカはカットした状態で販売されていることが多いという情報を知ったからです。
キリュー @quiriu_pino 父親の語る昭和30年代の東京芝浦の様子は壮絶で、 ・ドブから硫化水素ガスが出ており、落ちたら死ぬと言われていた ・校庭でバタバタ生徒が倒れ、「毒ガス警報」のサイレンが鳴る ・夏休みは小学校で買わされた勾玉状の栄養ゼリー(⁇)を毎日摂取していた 2020-08-14 22:23:41 キリュー @quiriu_pino 中でも印象深かったのは ・「〇組の〇〇さんが車にひかれ亡くなりました」という校長先生のお話がしばしばある ・男の子が女の子の服を着ていたり、その逆も多かった(貧乏なので、事故などで亡くなったきょうだいの服をそのまま着させられている) 2020-08-14 22:27:15
5月4日、厚生労働省が新型コロナウィルスを想定した「新しい生活様式」を公表しました。感染対策のために、「手洗いや消毒」「咳エチケットの徹底」といった対策を日常生活に取り入れることだけでなく、会話や食事、働き方など様々な領域における行動について指針を示しています。 この「新しい生活様式」という言葉から、戦時下に提唱された「新生活体制」を想起するという大塚英志さんに、エッセイを寄せていただきました。 テレビの向こう側で滔々と説かれるコロナ下の「新しい生活様式」なる語の響きにどうにも不快な既視感がある。それは政治が人々の生活や日常という私権に介入することの不快さだけではない。近衛新体制で提唱された「新生活体制」を想起させるからだ。 かつて日本が戦時下、近衛文麿が大政翼賛会を組織し、第二次近衛内閣で「新体制運動」を開始。その「新体制」は、経済、産業のみならず、教育、文化、そして何より「日常」に及ん
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10歳だった。 その時ぼくは、まだ「ソビエト連邦」だったモスクワにいた。 そこで見たのは、「国」というものが劇的に変化する瞬間だった―― 外務省が公開した6000ページにのぼる外交文書。外交官たちの生々しい報告が、私をあの時代に連れ戻した。そして私は、何が起きていたのかを初めて実感した。 (政治部・渡辺信) その書き出しは、文学的だった。 『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』 1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書の冒頭だ。書いたのは、モスクワの日本大使館の政務班長だった角崎利夫氏。これまで私が読んできた硬い外交文書とは異なる表現で、1985年に書記長に就任し
年越しの風物詩「除夜の鐘」に対し、「うるさい」などとする苦情が寄せられ、中止したり時間を夕方や昼間に変更したりする寺院が後を絶たない。さらに、寺の檀家(だんか)の減少などで人手が足りず、深夜の鐘突きを見直す動きも。人間の百八の煩悩を払うという除夜の鐘が、世知辛い現代社会の寒風にさらされている。 「毎年突いてきたのに、年末の風物詩が消えてしまうのは残念」。さいたま市の寺院「玉蔵院(ぎょくぞういん)」で毎年除夜の鐘を突いてきたという自営業の男性(52)は肩を落とす。 JR浦和駅から徒歩5分の市中心部にある玉蔵院。約1200年前の平安時代に弘法大師が創建したとされ、除夜の鐘には毎年約200人が集っていたというが、今年は行われない。 中止決定の契機は、ほかの寺院に鐘の音が「うるさい」と苦情が寄せられているのを、寺側が知ったことだという。かつて昔ながらの個人商店が立ち並んでいた寺の周辺も近年はマンシ
愛知県豊田市にある寺のふすま絵の下張りから、江戸時代前期の武家の帳簿や証文など大量の古文書が見つかりました。今でいう“ボーナスの支給明細”のような文書もあり、当時の武家の財政事情や暮らしぶりがうかがえる貴重な資料として注目されます。 古文書が見つかったのは徳川家康の重臣、渡邉守綱の菩提寺で、豊田市にある守綱寺です。 本堂にある狩野派の絵師が描いたとされる「松に禽鳥図」という8枚のふすま絵の修復作業を行っていたところ、下張りから2300点余りにのぼる古文書が見つかりました。 これらの古文書を近世の歴史を研究している愛知県立大学の大塚英二教授らが調べたところ、最も古いものは江戸時代初期の1636年のもので、売り掛けの帳簿や証文など使い終わった紙を、ふすまの下張りとして再利用していたとみられるということです。 中には「仕着代・鼻紙代」として、12月に今でいう“ボーナス”を支給した明細のような文書
江戸時代の津軽地方では、アヘン(阿芙蓉)の原材料であるケシが政策的に栽培されていた。弘前藩「御国日記」には栽培地や栽培に関わる医師名が記されており、「御用格」にはアヘンを用いた漢方薬「一粒金丹(いちりゅうきんたん)」の記事が多数見られる。 服用すると気分が良くなる、疲れが取れる、熱が下がる、下痢が止まるなど評判は上々だったが、当初は津軽家の関係者に下賜される秘薬だった。家中の者はかなりの確度で入手できたので、家族や親戚のための願い出も多く、公用旅行の場合は優先的に認められた。 藩外の者でも、藩米の輸送や販売を任せたり、借金を申し入れたりしていた商人などには下賜された。後には民間への販売も行われ、例えば文政年間(1818~29年)には、江戸の長崎屋(常盤橋門前)や万屋(小石川春日)が藩公認の「売弘所」となっていたことが確認できる。
福島県が、新潟県と山形県の間に細長く続いているのが見みえると思う。三国茶屋のあたりから飯豊山(いいでさん)の山頂を経て御西茶屋までが福島県の領土だ。 こういった細長い県境をぼくは勝手に「盲腸県境」と呼んでいる。 県境ではなく、市境ではあるけれど大阪市にも似たような所があり、すでにライターの大山さんが記事で紹介している。 このような盲腸境界は全国にいくつかあるのだけど、県境でこれだけの規模のものはちょっと珍しい。 「これだけ幅が狭いと、片足づつ山形県と新潟県において、福島をひとまたぎできるかもね、アハハ」なんて冗談はよく言うのだが、標高2000メートル近い山にわざわざ行ってそんな冗談をほんとに実行するひとはいない。 ただ、そんなことするやついないだろうなーと思うと、逆に行ってやってみたくなる。というか、むしろ県境マニアとして、どうしてもやりたい。 というわけで、僭越ながら私めが実際に行って写
スマートフォンの登場で厳しい状況にあるカメラ・プリンター市場。そんななか、キヤノンが2018年に発売したスマートフォン専用のミニフォトプリンター「iNSPiC(インスピック)」シリーズが順調に売り上げを伸ばしている。19年6月にはカメラ機能と印刷機能を備えた新モデルが登場した。 iNSPiCシリーズの最新モデルではカメラ機能が追加され、インスタントカメラのように撮影したその場で印刷ができるようになった。キヤノンオンラインショップでの価格は、スマホに対応した「iNSPiC ZV-123」が税込み1万9668円、スマホ非対応の「iNSPiC CV-123」が同1万4168円(どちらも19年11月29日現在) 販売台数は当初計画の5割増し、女性に刺さった理由は…… 2019年6月6日にキヤノンマーケティングジャパンから発売された「iNSPiC ZV-123」、同7月25日発売の「iNSPiC C
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