困難抱える女性へ生活再建支える「居場所」、新潟長岡市が新たに用意 2024年度支援強化、「アパートの一室」で過ごし心身回復を
「暗夜行路」書き上げた書斎など 志賀直哉旧居初公開へ2008年10月4日印刷ソーシャルブックマーク 改修される志賀直哉の旧居。来春には内部が初公開される=奈良市高畑町 奈良市高畑町にある文豪・志賀直哉(1883〜1971)の旧居が近く改修され、来春には直哉が代表作「暗夜行路」を書き上げた2階の書斎などが初公開される。所有する学校法人奈良学園(奈良市)が4日、明らかにした。 旧居は直哉自身の設計で1929年に建てられた。木造2階建てと平屋が渡り廊下でつながれた数寄屋風の造り(延べ約400平方メートル)。38年に上京するまで約10年間住み、武者小路実篤や小林秀雄ら多くの文化人が集まり、「高畑サロン」と呼ばれた。 戦後は米軍が収用し、53年からは国の厚生年金宿泊所として使用された。地元で保存運動が起き、78年に奈良学園が買収。00年には国の登録有形文化財となったが、近年は雨漏りや床が抜け落ちるな
完成当時の姿に改修されることが決まった志賀直哉旧居(奈良市高畑町)。来春にも、志賀の思い出が詰まった建物の内部が全面公開されることも決まった。解体の危機を乗り越えて30年。保存運動にかかわった人たちは「悲願がかなった気分だ」と感慨深そうだった。 記念のシンポジウムは4日、奈良市内で開かれた。旧居の隣に住み、志賀と家族ぐるみで付き合った洋画家の中村一雄さん(73)らがエピソードを語った。中村さんは保存活動の中心メンバーで、解体に反対する約3万2000人分の署名を持って上京し、旧居を所有していた厚生省(当時)に要望した思い出を振り返った。 奈良学園が買い取った後も、老朽化のため、一般客は建物の外から内部をのぞき、「サンルーム」に入れるだけだった。中村さんは「全面的に公開してこそ価値がある。志賀直哉が住んでいたころのように、多くの人が集まる場所になったらいい」と笑顔を見せた。 シンポジウムの後、
小説「暗夜行路」で知られる文豪、志賀直哉(明治16〜昭和46年)が暮らした奈良市高畑町の旧居(登録有形文化財、昭和3年築)について、所有者の奈良学園(同市)は4日、直哉自身が設計したとされる当初の姿に復元する方針を明らかにした。公開部分も広げる予定で、直哉の美意識が伝わる邸宅が来春以降に全面的に見学できそうだ。 直哉は昭和4〜13年にこの邸宅に住んで執筆活動に取り組み、「暗夜行路」も完結させた。武者小路実篤ら白樺派の文人、画家らが集まり、「高畑サロン」とも呼ばれた。旧居は木造2階建て延べ約410平方メートル。数寄屋造りが基調だが、洋風の娯楽室やサンルームも取り入れている。直哉が暮らした後は旧厚生省の宿泊施設などに使われ、模様替えが繰り返されてきた。 呉谷充利・相愛大教授(建築・文学)が当時の写真をもとに調査した結果、現在の邸宅を囲む漆喰(しっくい)塗りの塀はもとはひなびた土塀だったことを確
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