2007年5月12日のブックマーク (6件)

  • ぶくまで知ったのだけど、ブログが終わるときというか - finalventの日記

    はてなブックマーク - kmizusawaの日記 - ご挨拶 ⇒kmizusawaの日記 - ご挨拶 kmizusawaさんの日記はぶくまに上がると見る程度だったのだけど、先日の都知事選関連についてはずいぶん率直な意見だなと関心したことがあった。 で、と。 ここしばらくブログを更新しながら、ときどきいただく批判コメントやトラックバック等を参考にあれこれ考えた結果、「別に私が発言する必要なんてないんじゃないか」という結論に達しました。私はもともと「伝えたい」とか「共有したい」という感覚があまりなくって、書きたいことがメモ的に書ければいいので(長文になるのはただの癖)。 まあ、それをいうと私も同じかなとも思うし、ただ、なんかそうでもないような気もしているので、ただ惰性で続けていますね。 また、表面的には個別のエントリ内容への批判の形で、事実ではないことや勝手に思い込まれた意図を前提に、まった

    ぶくまで知ったのだけど、ブログが終わるときというか - finalventの日記
    mushizawa
    mushizawa 2007/05/12
  • たとえば代筆するケータイ - 身辺メモ

    ・最近のコメント ・最近のトラックバック ・blog内検索 Syndicate this site (XML) 日語壊滅 (内田樹の研究室) 世代を追うごとに語彙力の低下が進行している、という感じは僕も抱くことがあるが、それが「ケータイメール」のせいかどうか、についてはよくわからない。まあ少なくとも、ケータイ「だけ」のせいではあるまい。 「現在のケータイ」が、考えを言語化するという意味で文章を綴るツールとしてきわめて不十分であるという点にはとても賛成だ。ただ、あれも一面では慣れの問題でもあって、時々びっくりするほど複雑でちゃんとした文章のメールを短期間に送ってくる人もいる。僕はぜんぜんダメだ。バイオやザウルスの両手親指キーボードですら、陶しい。パソコンのキーボード並に容易いモバイル・テキスト入力装置がほしい。 思うに、現在のケータイはちょっと中途半端なんじゃないだろうか。ポケベルなんか

    mushizawa
    mushizawa 2007/05/12
  • ニート、トリノ、レノン - 身辺メモ

    ・最近のコメント ・最近のトラックバック ・blog内検索 Syndicate this site (XML) 僕の勤め先の会社が入居しているテナントビルには、1階にビル共有の喫煙室がある。 その壁に、何のためか、赤いテープ状のマグネット(掲示物を壁に固定するアレ)が5枚、くっついている。 誰かがハサミで切ったらしく、太さはまちまちだが、長さはどれも同じ、30cmくらい。 あるとき誰かが、これを組み合わせて意味のある形にする、という遊びを始めた。 これは折畳み椅子の側面図。 タバコを吸わない人には奇妙に聞こえるかもしれないが、喫煙中というのは、意外に「手持ち無沙汰」なのである。喫煙はそれ自体に集中しないとできないようなものではないため、もともとは「何かをしながらするようなもの」だったのだ。近年、「喫煙」という行為だけが日常生活から抽出されて、喫煙用の特定の空間という「形」を与えられたため、

    mushizawa
    mushizawa 2007/05/12
  • 院生の穴蔵 今村仁司氏 死去

    院生の穴蔵。哲学/倫理学セミナー http://pe-seminar.hp.infoseek.co.jp/ 訃報です。東京経済大学教授で、フランス現代思想の研究で知られる今村仁司氏が五日、死去しました。六十五歳であったそうです。今村氏は京大大学院経済研究科出身で、マルクス研究者として出発後、アルチュセールやボードリヤールらフランス現代思想に関する作品を発表し、八十年代のフランス現代思想ブームの立役者のひとりとして活躍されました。また近年では、西洋近代哲学から深く学びながら、親鸞を再発見したことでも知られる明治期の宗教的思想家・清沢満之についての著作も発表されていました。主な著作に『歴史と認識―アルチュセールを読む』『排除の構造』『清沢満之と哲学』などがあります。  私は昨日の朝刊の訃報の記事で知ったのですが、池田晶子氏の訃報に続き、これにも驚かされました。なんといっても、まだ早いですよね、

    mushizawa
    mushizawa 2007/05/12
  • 異色のド根性大統領候補:マイク・グラベル: 暗いニュースリンク

    もともと退屈なイベントだった。討論会とは言っても、基的には司会者が各候補者に質問をして、候補者が制限時間内に回答するという形式だ。これではディベートとは言えないし、議論が沸騰して候補者が音を言うこともありえない。(NBC放送が主催し、司会進行役は人気ニュースキャスターのブライアン・ウィルソン:MSNBCのtranscriptへのリンク) 討論会の内容をいくつか抜粋し解説しよう(強調は訳者による): 司会者:「クリントン議員、民主党上院院内総務ハリー・リード氏の最近の発言によれば、イラク戦争は敗北したとのことでした。日のUSAトゥデイ紙に掲載された投書には、リード氏の発言が“背信行為”であり、もしもパットン将軍が生きていたなら、リード氏を使ってブーツを拭うだろうと書かれています。あなたは上院院内総務の主張に賛成しますか?」ヒラリー・クリントン:「ブライアン、まず最初に、アメリカ国民の主

    異色のド根性大統領候補:マイク・グラベル: 暗いニュースリンク
    mushizawa
    mushizawa 2007/05/12
    「1人の兵士が無駄に死ぬ以上に酷いことは何だと思うかね?もっとたくさんの兵士が無駄に死ぬことさ!」
  • 「反抗」する気さえ起こらず? - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070427/1177703588で言及した、例の『朝日』の「没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心」という記事に対しての、 これは単純に、消えたのは反抗心じゃなくて、反抗心が相手としていた管理教育だと思う。反抗していたその相手がいなくなってしまったか、変わってしまったためだろう。 尾崎にハマるかどうかは、あの時代の管理教育然とした学校を共通の記憶としてもつか、あるいは信じられるかどうかだと思う。 http://d.hatena.ne.jp/stand_up1973/20070429#1177820193 というコメント、鋭いと思った。また、「管理教育というと非人間的・血も涙もない教師を想像しがちだけど、実際管理教育を駆動していた教師というのは、頭の先からつま先まで生徒への愛情が詰まっていて、教師と生徒の絆を信じて疑わない熱血

    「反抗」する気さえ起こらず? - Living, Loving, Thinking, Again
    mushizawa
    mushizawa 2007/05/12
    “相手が最終的には分かってくれるという〈信頼〉抜きには「反抗」もできないといえる。或いは、不信には常に信への希望みたいなものが孕まれているということなのかもしれない”