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ブックマーク / blog.tatsuru.com (16)

  • 農業は甦るか - 内田樹の研究室

    京大の藤井聡教授と農業について話す機会があった。藤井先生と私は政治的立場はずいぶん違うが、農業を守ることと対米従属からの脱却が必要だという点については意見が一致している。二人とも「愛国者」なのである。 ご存じの通り、日の農業は衰退の一途をたどっている。私が生まれた1950年代、日の農業就業人口は1500万人だった。総人口の2割が農業に従事していた計算になる。2030年の農業従事者は予測で140万人。かつての1割以下にまで減ることになる。 わが国が国の糧自給率は38%(鈴木宣弘東大教授によると実は10%以下らしい)。糧自給率はカナダが266%、オーストラリアが200%、アメリカが132%、フランスが125%、ドイツが86%、英国が65%、イタリアが60%。日は先進国最低である。政府は2030年には自給率を45%まで上げることを目標にしているが、農業従事者が減り続けているのに、どうや

    mutinomuti
    mutinomuti 2024/09/27
    “農業従事者が減り続けているのに、どうやって農業生産を増やすことができるだろうか”人海戦術でやれって主張か。まずは内田から始めてはどうか(´・_・`)そもそも自給率の高い米豪加は少人数大規模じゃないのかな
  • 近代市民社会の再興のために - 内田樹の研究室

    『月刊日』8月号にロングインタビューが掲載された。「野蛮への退行が始まった」というタイトルだけれど、私が言いたかったのは「近代市民社会を再興しなければならない」という話である。 ― 現在、世界は歴史的な大転換を迎えています。今、世界では何が起きていると考えていますか。 内田 今起きているのは「近代の危機」だと思います。近代市民社会の基理念は「公共」です。その「公共」が危機的なことになっている。 ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論によると、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」を戦っていた。この弱肉強の「自然状態」では、最も強い個体がすべての権力や財貨を独占する。でも、そんな仕組みは、当の「最強の個体」についてさえ自己利益の確保を約束しません。誰だって夜は寝るし、風呂に入るときは裸になるし、たまには病気になるし、いずれ老衰する。どこかで弱みを見せたら、それで

    mutinomuti
    mutinomuti 2024/07/21
    近代に戻りたいならインターネットやめよう(´・_・`)コンピュータの使用もやめよう。時代にあった新しい枠組みの創出でなく近代復興とか言い出すのちゃんちゃらおかしい
  • 文字の書けない子どもたち - 内田樹の研究室

    高校の国語の先生から衝撃的な話を聴いた。生徒たちが文字を書けなくなっているというのである。教科書をただノートに筆写するだけの宿題を毎回課すが、やってくるのは半数以下。授業中に書いた板書をノートに写すようにという指示にも生徒たちは従わない。初めはただ「怠けているのか」と思っていたが、ある時期からどうもそうではないらしいことに気がついた。 『鼻』の作者名を問うテストに「ニコライ・ゴーゴリ」と答えを書いた生徒がいた。ゴーゴリもその名の短編を書いているが、教科書で読んだのは芥川龍之介である。どうしてわざわざゴーゴリと書いたのか生徒に訊ねたら「漢字を書くのが面倒だったから」と答えたそうである。 生徒たちの提出物の文字が判読不能のものが増えて来たという話は大学の教員たちからも聴く。学籍番号までは読めるが、名前が読むのが困難で、コメントの文字に至ってはまったく解読不能のものが少なくないという。何を書いた

    mutinomuti
    mutinomuti 2024/02/28
    びっくりしているのを見るに自分が子どもの時に周りにいなかったんだろうかって思ってしまった(´・_・`)
  • 維新と加速主義 - 内田樹の研究室

    ある講演会で大阪の維新政治15年の総括を求められた。行政、医療、教育、どれをとっても大阪市府の現状は高い評点を得られるものではない。だが大阪での維新の人気は圧倒的である。なぜ政策が成功していない政党を有権者は支持し続けるのか。 維新政治に批判的な人たちは有権者が維新政治の実態を知らないからだという解釈を採っている。大阪のメディアが維新の広報機関と化しているので、有権者は維新政治が成功していると信じ込んでいる。だから、真実を知らしめれば、評価は一変するはずだと言うのである。そうだろうか。私は違うような気がする。 大阪の有権者は大阪で何が起きているかちゃんと知っているのだ。それは日の未来を先取りしているということである。大阪は実は「トップランナー」なのである。 公務員は減らせるだけ減らす。行政コストは削るだけ削る。社会福祉制度のフリーライダーは一掃する。学校教育では上位者の命令に従うイエスマ

    mutinomuti
    mutinomuti 2023/04/16
    自公共時代に比べたら成功しているだろ(´・_・`)
  • 統一教会、安倍国葬について他 - 内田樹の研究室

    あるネットメディアからインタビューを受けた。もう公開されているので、少し長い別ヴァージョンをあげておく。 ―これから安倍系右翼はどうなると思いますか? 内田 おっしゃっている「安倍系右翼」という言葉の定義を僕は知らないのですけれど、言いたいことは何となくわかります。それが「安倍晋三という個人の求心力やカリスマ性に依存して存在感を発揮していた政治勢力」という意味でなら、その人たちはこの事件をきっかけに力を失い、弱体化すると思います。 実際に安倍元首相の死後、彼の庇護下でこれまで「いい思い」をしてきたネット論客たちはいまほぼ沈黙状態にあります。どういうスタンスでこの事件に向き合って良いのかについての組織的な合意形成ができていないのでしょう。もともと安倍晋三個人が手作りしたネットワークですから、ハブが不在になると、合意形成のための場も、ルールもない。代わりを務めることのできる人がいない。ですから

    mutinomuti
    mutinomuti 2022/09/12
    本家自民党と元祖自民党に別れての連立してそのまま統一自民になるのでは(´・_・`)
  • 安倍政権の7年8カ月 - 内田樹の研究室

    安倍政権7年8カ月をどう総括するかと問われたら、私は「知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって政権の座にあったせいで、国力が著しく衰微した」という評価を下す。 日は今もGDP世界三位だし、軍事力でも世界五位の「大国」である。国際社会の中では「先進国」として遇されているし、米国の東アジアにおける最も信頼できる同盟国であるという評価も安定している。けれども、日が「あるべき国際社会」を語り、その実現に向けて指導力を発揮することを期待している人々は国内外を探しても見当たらないし、経済的成功のための「日モデル」や、世界平和の実現ための「日ヴィジョン」を日政府が提示するだろうと思っている人もいない。これだけの「国力」がありながら誰も日にリーダーシップを求めていない。そのことに、われわれはもっと驚くべきだと思う。 どうして国際社会は日にリーダーシップを求めないのか? それは日人が「

    mutinomuti
    mutinomuti 2020/08/30
    そう理解するなら政治で戦って勝ち取り政府を変えようとしないといけないけど、そうは行動しないししても実績を得れないのがこの界隈。
  • コロナ後の世界 - 内田樹の研究室

    『月刊日』にロングインタビューが掲載された。「コロナ後の世界」について。 ■「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点 ―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。 内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制

    mutinomuti
    mutinomuti 2020/04/23
    ヒトをサルって言った人だ(´・_・`)
  • 図書館について - 内田樹の研究室

    「最終講義 韓国語版 あとがき」としてこんな話を書いた。 みなさん、こんにちは。内田樹です。 『最終講義』韓国語版お読み頂きまして、ありがとうございます。 これは講演録です。講演録といっても、録音を文字起こししただけだと、話がくどすぎたり、逆に説明が足りなかったり、言いかけた固有名詞や年号や数値が思い出せなかったり、間違えたりというころがあるので、読みやすくするために少しは加筆しています。でも、だいたい話すときは「こんな感じ」です。 「あとがき」に書いてある通り、講演のときに僕はあまり準備をしません。その場に行って、看板を見上げて「あ、今日はこんな演題なんですか」と驚くことさえあります。それでも、「どういう演題でお話頂けますか?」という問い合わせに対して自分で選んだ演題ですから、その時点では「こういう話をしよう」という腹案があったはずです。自分の腹の中のどこかにあるものなら、探せば出て来ま

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    mutinomuti 2019/07/21
    そういう図書館を僕は作る。とは言わないんだろうな(´・_・`)まあでも阿久根市のような廃棄事例は図書館法改正して、Googleでもいいから電子化アーカイブしてもらうと共に、保管庫みたいな所に押し込めて国家が成長しry
  • 廃仏毀釈について - 内田樹の研究室

    昨日の寺子屋ゼミで「廃仏毀釈」についての発表があった。いくつかコメントをしたので、備忘のためにここに書き留めておく。 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか? 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道

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    mutinomuti 2019/05/31
    読んでないけど読む価値あるのかな(´・_・`)読みたくなったら読むためのブックマーク
  • 大阪万博という幻想 - 内田樹の研究室

    2025年の国際博覧会の開催都市がもうすぐ決まる。 大阪の他に、アゼルバイジャンのバクー、ロシアのエカテリンブルクが立候補しており、聞くところでは、三都市の競争は「横一線」だそうである。 大阪府知事、大阪市長は世界に向けてのPR活動に熱心だが、国内では招致機運が盛り上がらない。 間近に迫った2020年の東京五輪に対してさえ市民の間に熱い待望の気持は感じられないのだから、そのさらに5年後では気合が入らないのも当然だろう。五輪にしても万博にしても、半世紀前の1964年の東京五輪、1970年の大阪万博の時の国民的な高揚感とそれにドライブされた劇的な社会改造を記憶している世代から見ると、今の日の冷え方はまるで別の国のようである。 今回の万博に国民的関心が高まらない最大の理由は、にべもない言い方をすれば、大阪で万博を開く必然性がないからである。 公式サイトにはこんなことが書いてある。 「万博とは世

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    mutinomuti 2018/11/18
    よく考えたらパラリンピックは五輪ロゴじゃないので五輪五輪とあえてオリンピックだけを主張するのはどうなんだろう(´・_・`)
  • 家庭科教育について - 内田樹の研究室

    家庭科教育学会というところから講演を頼まれた。 家庭科教育というのはきっと今日の学校教育のなかでは「冷や飯をわされている」のだろうなと想像した(現実はどうなのかよく知らないけれど、「スーパーグローバル」とかいうような看板を欲しがる中高一貫校で家庭科の先生の発言が優先的に傾聴されるということは考えにくい)。 でも、家庭科というのは、とても大切な教科だと私は思う。 だから、二つ返事で引き受けた。 学会では「皆さんのなされている教育は子どもたちの『生きる知恵と力』を高めるためには必須のものです」とエールを送るつもりでいた。 でも、数十年ぶりの大雨で西日の鉄道ダイヤが大幅に乱れ、JRからも「鉄道旅行を見合わせるように」と勧告があったので、今回は学会出席を断念した。 欠席の知らせをしたら、座長の先生から「メッセージを代読するから、何か書いて送って欲しい」と頼まれたので、話すつもりだったことの

    mutinomuti
    mutinomuti 2018/07/08
    生活科に随分前になったかと思ったのだけど、学会がそうなのか、回帰したのか、気のせいなのかどうなんだろう(´・_・`)
  • 中国の若者たちよ、マルクスを読もう - 内田樹の研究室

    中国の新華社からメールで質問状が届いた。 中国でもマルクス生誕200年がにぎやかに祝われるようだけれど、その中で「マルクス再読」の機運が高まっている。その流れの中で石川先生との共著『若者よマルクスを読もう』も中国語訳が出て、ずいぶん売れている(らしい)。 質問状には6つの質問があった。僕の方はこんなお答えをした。 1.『若者よ、マルクスを読もう』が出版され以来、日ではベストセラーになり、中国でも大好評となり、愛読されています。その原因はどこにあるのでしょうか。なぜ資主義社会の日にはマルクス主義を愛読する人がこんなに多く存在しているのか、その原因は何だと思われますか。 日では、マルクスは政治綱領としてよりはむしろ「教養書」として読まれてきました。つまり、マルクスのテクストの価値を「マルクス主義」を名乗るもろもろの政治運動のもたらした歴史的な帰結から考量するのではなく、その論理のスピー

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    mutinomuti 2018/04/30
    中国の若者に呼びかけてるのに日本語だった(´・_・`)日本の留学生限定した呼びかけなんだろうか
  • 米朝戦争のあと - 内田樹の研究室

    7月に、ある雑誌のインタビューで、米空母の半島接近で、北朝鮮アメリカの間で戦端が開かれる可能性はあるでしょうか?という質問が出ました。 戦争が始まる可能性はあるのか。あるとしたら、どういうかたちになるのか。その後何が起こるのかについて、そのときこんなことを申し上げました。 米朝戦争ということになれば、アメリカはすぐにICBMを打ち込んで、北朝鮮は消滅することになると思います。 でも、北朝鮮が消滅する規模の核攻撃をしたら、韓国中国ロシアにまで放射性物質が拡散する(日にも、もちろん)。朝鮮半島や沿海州、中国東北部の一部が居住不能になるような場合、アメリカはその責任をとれるでしょうか。 空母にミサイルが当たったので、その報復に国を一つ消滅させましたというのは、いくらなんでも収支勘定が合いません。人口2400万人の国一つを消滅させたというようなことは、さすがに秦の始皇帝もナポレオンもやって

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    mutinomuti 2017/09/04
    内田先生の1000万をどうにかしないといけない論を真面目に考えると殲滅しか解がなさそうにみえる / 内部崩壊させれない、他国の説得は効かない、2制度になった場合南から合法的に追加要因が増えそう / 条約結んでも核継
  • シンギュラリティと羌族の覚醒 - 内田樹の研究室

    安田登さんをお招きして、ご高著『あわいの時代の「論語」』刊行記念3時間セミナー(ほぼしゃべりっぱなし)というイベントを凱風館で開いた。 頭の中に手を入れて引っ掻き回されるようなわくわくする経験だった。 備忘のために、すごく興奮した話題を一つだけ書き止めておく。 それはsingularityはAIが人類史上初めてではなく、3回目という話。 一度目は数万年前に頭蓋骨が巨大化したとき、二度目は文字が発明されたとき。 その時、安田さんから周りの人たちと「文字が発明されたときに、文字がなかった時代と何が変わったのか?」相談してみてくださいと言われて、隣に座っていた光嶋くん、神吉君、浅野パパと3分間ほどブレーンストーミングをした。 文字の出現というのは脳内に記憶しておくべきことを外部記憶装置に転写することができるようになったわけだから、脳内の「デスクトップ」が広く使えるようになったというのがとりあえず

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    mutinomuti 2017/09/02
    “「文字が発明されたときに、文字がなかった時代と何が変わったのか?」相談してみてください” 後で考えてみる
  • 変節と変態について - 内田樹の研究室

    信州岩波講座というイベントで加藤典洋さんとご一緒した。「変わる世界 私たちはどう生きるか」という総合テーマでの連続講演の第二回目である。 主宰は岩波書店と信州毎日新聞と須坂市。もうずいぶん長いこと続いているイベントとのこと。 加藤典洋さんが「どんなことが起こってもこれだけは当だ、ということ 激動の時代と私たち」というお題で1時間、僕が「帝国化する世界・中世化する世界」で1時間。その後対談と質疑応答。 加藤さんは「どんなことが起こっても『これだけは当だ』と言い切れる」腹の底にしっかりすわっている身体実感と、「こういうふうに考えるのが正しい」という叡智的な確信の間のは必ず不整合が生じると言う。 それを二階建ての建物に喩えた。身体実感が一階部分、知的確信が二階部分に当たる。 その二つが一致しているように思える時もある。けれども、歴史的与件が変わると、二階部分が現実と齟齬するということが起きる

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    mutinomuti 2017/08/28
    “二つの「現実になったかもしれない未来」” 、“先人たちの努力” たぶんそうであって欲しいという願望が相当入っているからモヤってした。言いたいことはそうなんだけどそうじゃない感。
  • 英語の未来 - 内田樹の研究室

    このところTwitter中心の発信で、ブログにまとまったことを書くということをしていなかった。締め切りに追われて、それどころじゃなかったのだけれど、やはりブログの更新が滞ると寂しいので、今日からまた再開することにした。 以前は毎日のようにブログにエッセイを書いていた。 前にも書いたけれど、これはバーナード・ショーに学んだ。 ショーは毎日『タイムズ』の読者からのお便りコーナーに投稿することを日課としていた。『タイムズ』は毎日バーナード・ショーから無料エッセイが届くのだからありがたい限りであるけれど、それでも毎日「読者のお便り」コーナーに掲載するわけにはゆかない。ときどき掲載して、残りは没にしていた。 でも、ショーは原稿をタイピングするときにコピーを取っておいて、投稿したものが何年分かたまったところで、それを出版社に持ち込んでにした。 「なんと無駄のない人生であろう」とぱしんと膝を打ち、それ

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