台湾有事論の高まりを前に、1970年代後半の北方脅威論の時代を思い出している。 激しさを増す米ソ冷戦のさなか、日本国内では何十個師団ものソ連軍が北海道に上陸侵攻してくるとの危機感が高まり、マスコミでもそれをあおるような報道が相次いだ。 しかし、現実には海上輸送能力の限界から、北海道に投入できるのは3個自動車化狙撃師団(機械化歩兵師団)、1個空挺(くうてい)師団、1個海軍歩兵旅団、1個空中機動旅団にすぎず、全滅を覚悟しない限り、作戦が発動される可能性はなかった。 意外かもしれないが、そういう角度から軍事を科学的にとらえることを教えてくれたのは、1等陸佐になったばかりのころの、防衛大学校1期生たちだった。 つまるところ、このときの騒ぎはワシントン発、そして永田町発の政治的な北方脅威論にすぎなかった。空騒ぎからさめたあと、国民の防衛意識が高まるには長い年月を必要とした。今回の台湾有事論の高まりに
![台湾有事論に欠けている科学的視点 | | 小川和久 | 毎日新聞「政治プレミア」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e05ff204527eb7a3a0f9471216d14cea0f8e69a4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2021%2F11%2F17%2F20211117pol00m010005000p%2F0c10.jpg%3F1)