2011年12月2日のブックマーク (2件)

  • アニメに「現実主義」は不要である - あままこのブログ

    今日は東京で輪るピングドラム第15話が放映されまして、いやはや……僕がアニメに求めているものの全てが凝縮されたような、そんな感覚を覚えました。画面全体がケレン味で満ち溢れていて、もう何回も笑ったりハラハラさせられたりするにも関わらず、しかしストーリーではとても重い、骨太な話題を扱ってしっかりと視聴者に考えさせる。そして最後には感動が押し寄せ、それまで単なる脇役だったような時籠ゆりというキャラクターに、心から感情移入し応援したくなってしまう。30分という時間においてここまで人の心を楽しませ、考えさせ、そして揺るがす。これはまさに「アニメ」という自由な表現形態だからこそ出来るものだと、そう確信するわけです。 ところが、こんなまわピンという傑作に対し、一方では「なんか残念だよ」と言うアンチも居るわけです。 ピングドラムにおける無意味さを表す三つの要素、及び残念な理由について - TinyRain

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  • 小津安二郎の「晩春」を見る | DRACの末裔による徒然の日々

    「泥中の蓮」 この泥も蓮も現実なんです。 そして泥は汚いけど、蓮は美しい。 だけどこの蓮もやはり根は泥中にある。 蓮を描いて、泥土と根を知らせる方法も あると、思うのです。 『晩春』に対する当時の評価に対して小津が行った反論だといわれている。 この映画はまだ戦争の傷が覚めやらぬ終戦の混乱期に作られたものである。 GWにTVで「市川昆」監督による小津安二郎作品「晩春」のリメイク「娘の結婚」を見た。 「晩春」の評価は小津作品の中でも高い位置にあり、これについては様々な解釈がある。 父と娘の父子家庭、婚期の遅れた娘を心配して結婚させようとする父親と、自分が結婚したら父親が一人になることを心配して、なかなか結婚しようとしない娘の感情の襞を描いたものであるのだ。 娘役の「原節子」の「表情の変容」に「エレクトラコンプレックス」を見、その発展形としての危ない関係までに言及する向きもあるが、それはそれとし

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