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文化と建築に関するmythmのブックマーク (8)

  • 佐渡島にあるお大尽な大臣の別荘、山本邸から見る景色に驚いた

    趣味材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえてべるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。(動画インタビュー) 前の記事:スカイツリーのお膝元でハゼを釣ってべたい > 個人サイト 私的標 趣味の製麺 お大尽な大臣の別荘へ 山悌二郎の別荘(以下、山邸)があるのは、佐渡島のほぼ南端。矢島・経島(やじま・きょうじま)という、1802年の地震による隆起で繋がった小さな島の上で、たらい舟乗り場の奥から歩いて行ける場所にあった。 矢島は矢に使う竹の産地で、『平家物語』で源頼政がヌエ退治に使った矢が矢島産と言われている。また経島は日蓮の弟子が読経して一夜を明かした伝説があるのだとか。情報量が多い。 別に悌二郎の子孫でも関係者でもなかったが、諸々あって山邸を受け継いだという田中さんに案内してもらい、明治時代に建てられた別荘へと向かう。 佐渡島のたらい舟乗

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  • 「源氏物語」「枕草子」舞台の建物跡 京都の発掘調査で初確認|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。 登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった

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  • 中国で「家を新築する」のはほぼ不可能(どんな金持ちでも)

    語学質問たん @GS___tan 【世界の不動産中国】 8億円の中古高級住宅。でも内装がない。「前の持ち主が家を売る前に内装をはぎ取ったのですか? 」と中国人に聞くと「たぶんそうじゃない。内装は最初からない」という。「え、だってこれ中古でしょ」と聞くと(つづく) wuxi.anjuke.com/prop/view/A541… pic.twitter.com/NdqWcGq3MB

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  • 見ずして死ねない日本の伝統建築10選

    友人旅行すると,興味ない人には日の伝統建築って全部同じに見えてるんだろうなーって思うことが多い.つまり,「見えて」いても「見えてない」んだな.解像度が低い.だから,その深み凄みを紹介するために10の建築を選んでみた. この増田で,日建築のどこをみればいいかが少しでも理解してもらえればいいな,と思っている.あくまで日建築を楽しむための「入り口」として,もしくは旅行の楽しみを一つ増やすためのお手軽ツール(やや自嘲をこめてるよ,これ)として,読んでくれると嬉しい. ・法隆寺中門~回廊(奈良県生駒郡,飛鳥時代) 法隆寺は誰もが行ったことがあるだろう.しかし,一般人は教科書に載っている五重塔と金堂があるなーって思って,終わりなんじゃないだろうか.違うのよ,当に.中門なんだ.中門から回廊にかけての柱.伊東忠太がエンタシスと呼んだ,胴張りの柱.この列柱をみて,何も感じない人間は,おそらく建築に

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  • 首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇 | NHKニュース

    那覇市にある「世界遺産」の首里城跡に復元された首里城で起きた大規模な火災では、「正殿」など主要な建物が全焼し、琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品の多くが焼けたものとみられています。警察などは、あす(1日)午前から現場で検証を行うなどして詳しい出火原因を調べることにしています。 31日未明から那覇市にある首里城で11時間にわたって続いた大規模な火災では、城の主要な建物の「正殿」や「北殿」、それに「南殿」などが全焼しました。

    首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇 | NHKニュース
    mythm
    mythm 2019/10/31
    涙が出る。辛くてニュースの映像も見ていられずすぐにテレビを消してしまった。
  • 東京はあまりに歴史遺産がなさすぎて悲しい

    普通、世界各国の首都はその国第一の観光都市であることがほとんどだ。 ヨーロッパの国々は別格としても、北京はもちろんお隣韓国のソウルだって2つの世界文化遺産がある。 それにひきかえ東京はまず一切歴史的な街並みが残っていない。400年の歴史を持っているはずなのに。 何千という建造物があっただろう江戸城に現存する遺構は9個しかない。 江戸の町の7割を占めていた膨大な武家屋敷群は現存する遺構が門2つだけ。移築した遺構はもう少しあるが、ほぼ門だけ。これらはほとんど明治時代に取り壊した。 まあ残っていてもどうせ震災と空襲で壊滅しただろうが、いくら震災と戦争があったからって、丸の内の一丁倫敦と言われた近代建築群は残っていたものも戦後高度経済成長の中で全て取り壊した。 東京中央郵便局は外壁だけ。数少ない近代建築をどんどん壊して高層ビルに変えて、外壁保存すれば頑張った方。 東京で最も金をかけていて風格のある

    mythm
    mythm 2016/02/10
    東京のモザイク性、面白くて美しくて歴史あると思うけどなあ。「昔からずっと変わらずにある」だけが歴史じゃなくて、「発展の経過」の物語が見えるのも歴史だと思うの。
  • liliputさんによる「中之島図書館とはどういう図書館か」について

    橋下大阪市長と松井大阪府知事が廃止する方針だと報道されて話題になっている「中之島図書館」。大阪府最古の府立図書館であり、その建築は重要文化財に指定されていますが、現役の図書館としてはどういう立ち位置にあったのか。liliputさんが非常に参考になるtweetをされていたのでまとめてみました。

    liliputさんによる「中之島図書館とはどういう図書館か」について
  • 日本最大級の遊郭の建物が今も150軒以上残る「飛田新地」に行ってきました - GIGAZINE

    大阪市西成区の「飛田新地(とびたしんち)」には日最大級の遊郭が残っており、「鯛よし百番と飛田新地」によると「難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれました。1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれていますとのことで、非常に貴重な建物が多く残っており、実際にこの地域の最も古い建物であり、料亭でもある「鯛よし百番」は国の登録有形文化財にも認定されるほど。 なので、どのような建物が残っている町なのかを実際に見に行ってきました。 「飛田新地」と呼ばれるエリアは大阪

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