Naniwanokazu @Naniwanokazu1 おはようございます、令和2年(2020)1/5(日)です。 #紬の日 名瀬市(現:奄美市)で昭和53年(1978)から実施。 名瀬市ではこの日に成人式を行うことから、市民皆が特産の奄美大島紬の着物を着てその良さを再認識しようと制定された。 (kuma942さんによる写真ACからの写真) #今日は何の日 #いちご世代の日 pic.twitter.com/7rfyEYzbqK
Naniwanokazu @Naniwanokazu1 おはようございます、令和2年(2020)1/5(日)です。 #紬の日 名瀬市(現:奄美市)で昭和53年(1978)から実施。 名瀬市ではこの日に成人式を行うことから、市民皆が特産の奄美大島紬の着物を着てその良さを再認識しようと制定された。 (kuma942さんによる写真ACからの写真) #今日は何の日 #いちご世代の日 pic.twitter.com/7rfyEYzbqK
00年代にインターネットでその名を馳せたアンサイクロペディアというサイトがある。 言わずと知れたネット百科事典であるWikipediaのパロディというコンセプトで、「誰でも編集できる自由気ままな百科事典」を謳っているサイトである。それがとうとう最終局面を迎えている。 かつてのアンサイクロペディア かつては[[あああああああああ!]]や [[1=2]]など外部で取り上げられるような記事も多く生まれ、10年ほど前にインターネットをやっていた人間なら必ず一度は覗いたことがあるだろう。 2005年の日本語版開設以来順調に規模を拡大し、07年に5000記事、08年には10000記事を達成するなど00年代の終わりに全盛期を迎えていた。 この頃には単なる世相の風刺に留まらず、旬のアニメやエロゲに関する記事など、オタクの総合百科事典としてのちのニコニコ大百科やピクシブ百科事典のような機能も備え、隆盛を極め
このエントリは GMO Pepabo Managers Advent Calendar 2019 11日目のエントリです。昨日は吉野聡さんによる 商品を選択する時の話でした。 今年わたしの身に起きた「めちゃくちゃ大変なわけでもないが、想像だにしてなかったこと」に対処した話をします。 発生トリガー:実家との別れ 今年、私は生家に別れを告げました。25歳までずっと住んでいました。 福岡市某所にあった実家(現在は所有者が異なるためぼかしています) 実家は薬局を営んでいて、幼いころは店内を遊び場とみなして走り回り、近所のお得意様や問屋の営業の人に遊んでもらったりしていました。 タンス、化粧棚、家具家電、など普通の家財道具だけでなく、ガラス棚やリポビタンDの冷蔵庫など特殊なものもあったので、どう片付けたものか、、と思っていましたが業者さんにお願いすると2〜3時間で家の中からっぽにしてくれました。プロ
なかじま・けい/山梨県生まれ。中国、香港、台湾、韓国など東アジアのビジネス事情、社会事情などを新聞・雑誌などに執筆。著書に『中国人の誤解 日本人の誤解』、『中国人エリートは日本人をこう見る』、『なぜ中国人は財布を持たないのか』『日本の「中国人」社会』、『中国人は見ている。』(いずれも日本経済新聞出版社)『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』『中国人エリートは日本をめざす』(ともに中央公論新社)『爆買い後、彼らはどこに向かうのか?』『中国人富裕層はなぜ「日本の老舗」が好きなのか』(ともにプレジデント社)、『中国人のお金の使い道』(PHP研究所)、『いま中国人は中国をこう見る』(日経プレミアシリーズ)、『中国人が日本を買う理由』(日経プレミアシリーズ)などがある。 著者サイト http://www.keinaka.com/index.html DOL特別レポート 内外の政治や経済、産業、
豚丼は豚肉と米があれば作ることができる。 それなのに豚丼が誕生したのは昭和になってからのことだった。 豚丼の観点から日本史を見つめ直す。 北海道名物「帯広豚丼」 北海道の名物に「帯広豚丼」がある。甘辛いタレで焼いた豚肉を載せた丼飯だ。 Captain76 [Public domain],Link しばらく前にこれを食べた時、ふと思った。「北海道で豚丼は異質すぎないか」と。 豚の祖先であるイノシシは、北海道に生息していない。稲作は北海道に適した農業とは言えず、新田を初めて試みたのは17世紀末とされる*1。豚丼の主な構成要素である豚も米も、本来は北海道で作るのに向いていないのだ。 「北海道開拓の前に豚丼があってもいいだろ」そう考えて調べてみると、これがなかなか興味深い。「豚丼が無かった」とは言えないが、それまで「豚丼が誕生しにくい」とは言えそうだ。米が主食になるにつれ、豚を食べる機会が減ってい
歌舞伎から人気?・源義経→いまでも人気あるけど全盛期ほどではない ・忠臣蔵→いまでもそこそこ人気あるけど低下気味 ・楠木正成→戦前に持ち上げられまくった反動で廃れ気味 ・石川五右衛門→知名度はそこそこ残っている ・曽我兄弟→廃れた ・荒木又右衛門→廃れた ・源為朝→廃れた ・鼠小僧→廃れた 講談から人気?・新選組→いまが全盛期じゃないかというくらいの人気 ・真田幸村→いまでも人気はあるけど全盛期ほどではない ・真田十勇士→幸村本人の人気と比較するとだいぶ廃れた ・宮本武蔵→いまでも人気はある(もともと義経や幸村ほどの人気はない) ・水戸黄門→テレビドラマ(2011年まで)が終わって低下気味(2019年にBSで新シリーズやってた) ・大岡越前→テレビドラマ(2006年まで)が終わって低下気味(追記:2013年からBSで別のドラマシリーズが始まっている) ・柳生十兵衛→廃れたけどまだ知名度は残
The Despair @_desirepath 綠の葉っぱのモデル?東南アジアで使われた貝葉(貝多羅葉)。 オウギヤシ、多羅樹などのヤシの葉から作られる筆記媒体です。 日本ではタラヨウの葉に傷をつけ文字を書いたといいますが、その語源だそうです。 ja.m.wikipedia.org/wiki/%e8%b2%9d… #ケムリクサ #ケムリクサ考察班 pic.twitter.com/RcLevH0kRv リンク Wikipedia 貝葉 貝葉(ばいよう)とは、椰子などの植物の葉を加工して、紙の代わりに用いた筆記媒体。東南アジア、南アジアで多く利用された。貝多羅葉(ばいたらよう)の略称である。 貝多羅葉(ばいたらよう)の名称は、古代インドで植物の葉が筆記媒体として用いられていたため、サンスクリットで「木の葉」の意味を持つパットラ (pattra) と、さらに主に用いられたオウギヤシ(パルミラヤ
2016年11月。 土埃と魚醤の匂いがするミャンマーの市場で。 私は立ち尽くしていた。 車いすに乗る母の背後には、何人ものちびっ子托鉢僧たちが、連なっていた。 逃げようとすれば、ついてきて。 そしていつの間にか、増えていて。 君たちは、あれか。ピクミンか。 母・ひろ実は困り果てた顔で「どうしよう」と、私に助けを求めた。 私は、見て見ぬフリをした。 私という人間は、理解できない状況に遭遇したら、たとえ実の親であろうとも迷いなく他人のフリができるんだなあ、としみじみ思った。 それはもう、全力で他人を演じた。 演技には自信がなかった私が、ミャンマーの地で、倍賞千恵子を彷彿とさせる名女優になった。 なぜ倍賞千恵子になったかと言うと、話は遡る。 とある仕事のご縁で、私たち親子が、ミャンマーへ招かれることとなった。 今だから言えるが、当時の感情は「ありがてえ」と「おっかねえ」が、ハーフ&ハーフだった。
『ひとりの成人は乳を見た』 『もうひとりの成人は、言動を通して心をみていた』 あなたはどちらだろうか? 燃える巨乳 また巨乳キャラが話題になっている。 巨乳キャラでも堂々としていればいいとは何だったのか。まあ、キズナアイの件*1を考えると、胸のサイズや表情というのは重要ではないのだろう。 この手の展示物が話題になるたびに、「逆の立場になって考えろ」という意見が出る。男性だって性的に消費されるような展示物が公共の場にあったら不快になるだろう、と。 しかし、女性向けに作成された展示物が「男性を性的に消費している」と問題になったことはほとんど無い。おそらく探せば一つくらいはあるのだろうが、俺はパッと思いつかない。定量的に語るのは難しいが、男性向けに比べたら炎上の頻度は少ないだろう。 Togetterで「ジェンダー」タグのまとめについたタグからも予想できる この実感が正しいのならば、なぜ炎上するの
源氏物語の現存する最古の写本で、鎌倉時代の歌人・藤原定家による「定家本」のうち「若紫」1帖(じょう)が、東京都内の旧大名家の子孫宅で見つかった。冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が8日発表した。定家が校訂したとみられる書き込みや、鎌倉期に作られた紙の特徴などから、同文庫が定家本と鑑定した。 既に確認されている定家本4帖は、いずれも国の重要文化財に指定されている。「若紫」は、光源氏が後に妻となる紫の上との出会いを描く重要な帖だけに、今後の古典文学研究に大きな一石を投じる可能性がある。 源氏物語(全54帖)の定家本は、紫式部による創作から約200年後の13世紀初めに書き写された。昭和初期に国文学者・池田亀鑑(きかん)が調べ、「花散里(はなちるさと)」「柏木」「行幸(みゆき)」「早蕨(さわらび)」の4帖が確認されていた。 今回鑑定した元文化庁主任文化財調査官の藤本孝一氏によると、冊子の大きさは縦2
ただちに類書がいくつか思い浮かぶ読者もいるだろう。『欧米人の見た開国期日本――異文化としての庶民生活』 (角川ソフィア文庫)。幕末から明治初期にかけての日本が、欧米人の目にどう映ったかを報じたものだ。 著者の石川榮吉さん(1925~2005)は人類学者。専攻は社会人類学。京都大卒。東京都立大で長く教え、『南太平洋物語―キャプテン・クックは何を見たか―』で毎日出版文化賞受賞。日本民族学会会長(現・日本文化人類学会)も務めた。本書はかつて風響社から刊行された単行本の文庫化だ。 テーマごとに再構成 類書と異なる大きな特徴は、本書が上手な「まとめ本」だということ。外国人が開国期間の日本に関して記した体験記録は多数ある。本書はそれらを軸に、「庶民生活」という視点から、テーマごとに再構成したところが新しい。 加えて著者自身が「文化人類学者」というのもユニークだ。オセアニアなど南太平洋を中心にフィールド
藤村シシン 9/20ギリシャ生放送 @s_i_s_i_n 「古代ギリシャの布の構造は分かったけど、実際の色や染料はどんな感じだったの?」とのご質問が多かったので、再来週の青山講座で実際の糸を持って行こうかな。と思い立ったけど、意外と日本では手に入らなかった……!そして高い!二週間で染色職人に弟子入りしたい twitter.com/s_i_s_i_n/stat… 藤村シシン4/21~神話受容史講座 @s_i_s_i_n 美大勢の「デッサンでさんざんやった古代彫刻、布の構造が謎のまま描いていたけど、こうだったのかー!」とのお声が新鮮でした。体験すると見えないものが見えてくる!モデルになって下さったお三方、そして皆様、ありがとうございました!また次回! #藤村シシン講座 nhk-cul.co.jp/sp/programs/pr… pic.twitter.com/l0IfIDCiBC
1984年から1993年まで発行され、累計160万冊に達しているロングセラーの全集がある。『日本食生活全集』(農山漁村文化協会)がそれで、47都道府県ごとに1冊ずつ、昭和初期の食事を聞き書きしたもの。庶民の食生活をうかがい知る貴重な資料はこれまで、多くの研究者やジャーナリスト、食文化に興味を持つ人たちに利用されてきた。 県別に昭和初期の食卓が紹介される『日本食生活全集』。刊行から約30年経つが、現在も売れ続けている(農文協提供) その続編の役割を担うシリーズが現在、農文協(農山漁村文化協会)から年4回ムック形式で発行されている。『伝え継ぐ 日本の家庭料理』シリーズがそれで、今回は都道府県ごとではなく、料理のジャンルごとに全16冊出す。2017年11月に刊行が開始され、これまでに「すし」「肉・豆腐・麩のおかず」「小麦・いも・豆のおやつ」「炊きこみご飯・おにぎり」など8冊が出ている。次回は11
(C) Capcom USA アメリカ人が考える「格好良さ」を体現したガイル ストリートファイターシリーズの主要な登場人物の一人であるガイル。 日本を始め多くの国のファンにももちろん人気があるのですが、アメリカではなぜか別格扱いされています。主役級のリュウに匹敵するか、それ以上の人気を誇ります。 なぜガイルはアメリカで人気なのか、アメリカ文化史や社会史の観点から考察していきたいと思います。 なお、この記事はある程度ストリートファイターシリーズについて知っている前提で書きます。ストリートファイターシリーズやガイルについての基本的な説明は省いてお話しします。あらかじめご了承ください。 1. アメリカで主役級の扱いであるガイル ガイルがアメリカで人気で、主役級の扱いであることを皆が知ったのは1994年の映画「ストリートファイター」からではないかと思います。 この映画では、ジャン=クロード・ヴァン
1982年那覇市生まれ。ギャル記者。Yahoo個人オーサー。千葉大、2019年3月首都大学東京大学院卒業。2007年沖縄タイムス社入社、社会部を経てDX戦略局。2015年、GIS沖縄研究室研究室、首都大学東京渡邉英徳研究室と共同制作した「沖縄戦デジタルアーカイブ」が文化庁メディア芸術祭入選など。 大学在学中から、若者文化を研究。Twitterは@sssss_sssss_10 沖縄にはかつて、女性が手に入れ墨を彫る「ハジチ」の文化があった。1899年、日本政府が入れ墨を禁止したことで、ハジチは「憧れ」から「排除」の対象に変わった歴史がある。禁止されてから今年で120年。専門家は「ハジチを通して、歴史や差別の問題を知ってほしい」と話す。(デジタル部・與那覇里子)
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