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文化と表現に関するn-eのブックマーク (3)

  • ゲーム研究における道具論、作品論 - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

    今のところ考えているうち、もっとも抽象度の高い話を投げてみます。 全体として統一感があるわけではないので、節ごとに全然別の話をしている、というくらいの気持ちで読んでいただければと思います。 設計・運用・受容 自分がTRPGについて書く時、いつも念頭に置いているのは「設計/運用」という二区分です。 〈システムデザイン〉を褒めるためには、それを運用して現場に〈ゲーム〉を実現する〈マスターリング〉の技術について考察する必要があると考えているのは、その「設計/運用」の分類があるからです。 そんなことを考えながら今日iPhoneのFlick式入力について話していたのですが、そこではたと気がついたことがありました。私がTRPGを通じて考えていることというのは、要するに「インターフェイス、ツール、道具」と「人間、集団、社会の関係」なんだな、ということです。モノと人とのかかわり、あるいはモノづくりの人と、

    ゲーム研究における道具論、作品論 - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)
  • テヅカ・オブ・ザ・デッドというゾンビ映画はどうだろう - 祭竒洞

    0.はじめに またも某護法少女とは関係ないのに伊藤剛な人の話をしてしまう。 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版,2005)に出てくる「キャラ/キャラクター」という分類を、 うまく妖怪に適用できないか考えてみた、というお話です。 相変わらず根拠レスに勢いだけで語ってますのでひとつよろしく。 そして相変わらず妖怪の定義が曖昧なまま使ってしまいますがそれもよろしく。 更にTiD*1をいまいち理解してない気もしますがそれも以下略。 1.そもそもキャラ/キャラクターとは? もともとは漫画の分析で伊藤が用いた概念で、 漫画等の登場人物についてなどの二種類のリアリティを説明するもの。 キャラクターは背景に「人生」を持っている存在としての登場人物。 絵で表現されていても、実際は生身の人間(あるいはそれに類するもの)を表現しており、 漫画はその人生の一部を絵で表現しているだ

    テヅカ・オブ・ザ・デッドというゾンビ映画はどうだろう - 祭竒洞
  • アートって生み出すと同時に消費だと思う

    自分はアートとか理解できない。 アートを理解する、ってなんだと思う。それがそんなに高尚なことなんだろうか? 訳のわかんないでかい人形だかオブジェつくって、それが私の言いたい事です。とか言われても。 何にも感じないとき、すごくそれってモノを消費してるよなー、と感じる。 ビニールだかの人形を成型し、多大な絵の具を使い。巨大なモノを作り出し、そして私はクリエイターだという。肥大した自意識を見せ付けられてるような気がする。 自分にとっては、それは大いなる消費にしか見えない。 全てのものが、永遠に取っておくほど価値のあるものになるとは限らない。 そして正直なにも感じられない時点で、それは私の役には立たない。 現実的な役に立たない上に、環境に悪い。 そんなに消費しなければ自分を表現できないのか、と思う。 どうせ作るなら自然に帰るもので作ってほしいもんだ、これからの時代。 いつまでもたかが一個人の自己実

    アートって生み出すと同時に消費だと思う
    n-e
    n-e 2008/07/19
    大いなる消費、そのとおりだと思う。有用な・使えるものを作ることだけを良しとするのか。無駄こそ文化だと思う。
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