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娯楽に関するn-eのブックマーク (11)

  • 必ずしも「作品への対価=お金」ではない - P2Pとかその辺のお話@はてな

    少なくとも私の観測範囲にいる、一部のインディペンデントなミュージシャンたちにとっては。 最終的に対価を払うかどうかを決めるのは消費者です。 欲しくもない物に対価を払えという強制は出来ません。 しかし、対価を払いたくなるようにする、その道筋作りはしたい、というのが心情です。面白い作品、素晴らしい作品は読んでもらいたい・聞いてもらいたいわけです。 その対価を払いたくなるくらいに気持ちを高めさせる手段はやっぱりあるんじゃないかなとは思います。思いたいです。 作品に対価を払うことは、自分のためになる。胸をはれ! - たまごまごごはん おそらく、既存のメディアや、その中でアテンションを集めることのできるプレイヤーにとっては、これは真実であるのだろう。ただ、供給過多のオンライン環境でミュージシャンとして生きていくことを決意した人達にとっては、これまでのような考え方は当てはまらない部分もあるのかなと思う

    必ずしも「作品への対価=お金」ではない - P2Pとかその辺のお話@はてな
    n-e
    n-e 2009/03/10
    "彼らにとっては、お金(自分への支払い)よりもアテンション(自分への注目)の方がプライオリティの高いもの"
  • 娯楽を消費して元気をもらう - インターネットの真の姿とは

    最近、コンテンツをなんとなく消費していたが、そのコンテンツがどれほどの作品であるか、評価ばかりしていたように思う。これはいい作品だ、と思えるからなんだというのだとふと思った。 ゲームや動画や音楽も、それを使って来の進むべき道にやる気を与えるという性質に使うのが望ましい姿であると思う。だから、途中でやめてしまってもいいのである。そこから何か元気を得られるような作品であって、新たな行動に結びついてこそ、自分にとっての良作であると思って間違いない。 というのも、自分はゲームなどにはまりやすいタチで、過去にも覚えがあるため、ゲームやその他にはまっていくことを忌避していた部分がある。でも、結局満たされなさが残る。刺激がないというか、前に進んでいかない気分になるのだ。元気をもらえる作品が名作なのであって、美麗で秀逸なストーリーだから名作、というわけではないのだ。 生産を、したいね。それは何でもいいの

    娯楽を消費して元気をもらう - インターネットの真の姿とは
    n-e
    n-e 2009/02/05
    "ゲームや動画や音楽も、それを使って本来の進むべき道にやる気を与えるという性質に使うのが望ましい姿"
  • 発熱地帯: 日本のゲーム界は「映画→テレビ」に匹敵する歴史的分岐点を迎えている

    ゲームは過去数十年にわたって、技術の進化と共にゲームデザインを変化させてきたメディアです。実際、次世代ゲーム機が出れば、その性能を活かした次世代ゲームが生まれることが期待されてきました。性能向上がゲームを面白くし、ゲームユーザーに支持され、売上も市場も業界も成長するという、素朴な楽観主義が信仰されていたのです。 しかしこの特性は、これから変化していく可能性が高いです。というのは、今やプロセッサ性能至上主義の崩壊が誰の目にも明らかになったからです。それはDSが証明しましたし、今年のE3で多くの業界人が認識したことでしょう。今週のファミ通(P.21)ではなんと、あの鈴木裕氏がプロセッサ性能至上主義が終わったと語っています。 技術が上がれば上がるほど、ゲームおもしろくなって伸びていった時代。でも、いまはそうじゃない。技術はユーザーにとってもう十分満足する状態にあって、成熟期ですよね。DSを成功

  • 発熱地帯: ゲーム業界は10年のループを抜け出せるのか?

    去年の11月に「2005年は第2次ライトユーザーブーム元年だった」と指摘し、今年の2月には10年前の状況との類似性を多少の危機感をもって語りました。そして、ますます10年前と似てきたなあ、と思う現象が起きています。 ・GAME NEVER SLEEPS 「開発者は岩田発言に釣られるな」 俺が絵画を鑑賞できないように、ハリウッド映画しか観ない人がいるように、ゲームを楽しめない人は、どこまでいってもゲームを楽しめないと思う。ゲーム人口拡大も結構だが、軽薄なブームで拡大するのは、流行と広告に左右される、はなはだ不安定なゲームファンだということを忘れてはいけない。 (略) たとえ、その結果できたものが「大作主義」と揶揄されるものであろうとも、ゲームを支えて来た、そしてこれからゲームを支えるであろう、「ゲームを楽しめる人たち」は、きっと、認めてくれる、答えてくれると信じてゲームを開発していこうと思う

  • ゲームは「入力の娯楽」であり、ネットの「出力の娯楽」と共存できると思う話 - 空中の杜

    Twitterのコメントで、興味深いものが。 携帯とかYouTubeとかmixiとかTwitterとか、そういうのが全部ライバルになってきて ユーザーの時間を取り合ってると思うんだけどゲーム業界の人はそういう認識あるのかな。 他のゲームよりおもしろいもの作っても仕方ないってことに。by seabream (情報元:まなめはうすさん) 私の考えでは、これは正しいとも言え、そうではないとも言えると思います。その理由をちょっと書いてゆきます。 まず、このブログやゲームミュージックなブログでも度々書いていますが、昔は数が少なく、時間を潰すために金を出しても得ようとした娯楽が、現在では非常に多くなり、無料のものも非常に多くなってきました。こうなると余暇の時間を潰すのに不自由しなくなるどころか、限られた余暇の時間内でどの娯楽を楽しもうかという、娯楽間の競争が起こります。そしてゲームの場合、昔ならばソフ

    ゲームは「入力の娯楽」であり、ネットの「出力の娯楽」と共存できると思う話 - 空中の杜
    n-e
    n-e 2009/01/14
  • 思考錯誤 - FC2 BLOG パスワード認証

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    n-e
    n-e 2008/06/16
    広く浅くか、狭く深くか。拘りに力を注ぐか、娯楽として消化するか。
  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

  • オタキングのおかげで、何でエロゲー論壇が流行り廃れたのかわかったよ! - 脳髄にアイスピック

    さっき、神の意志が僕に語りかけてきたよ! 神託だよ! 今更ブロッコリーの株を全力で信用買いすると良いよ! さて、それはそれとして、岡田斗司夫の話で、釈然としないところは色々とあるのですが、物凄く釈然としないところが一つあって、 つまり、SFファンであるというのは「千冊読まなきゃダメだ」とか「自分で翻訳してでも未訳のを読め」といったかなり求道的なものだった。何か道を極めて、それで一人前になるためにはものすごく修行しなければいけない、修行とか精進するのが当たり前だった。それが、どんどん楽でわかりやすいものになっていった。 (中略) わかりやすさがはびこることで、SFは滅びました。 そして、オタクの世界にも「萌え」というわかりやすさがはびこっている。ならば、この先の展開もおわかりになるでしょう。それはしだいに「わかりやすい=萌え」以外の作品や感性を排除しはじめる。 オタクである以上、マンガ好き

    オタキングのおかげで、何でエロゲー論壇が流行り廃れたのかわかったよ! - 脳髄にアイスピック
  • TVが面白いの面白くないのってのはコンテンツのメタ化が進んだからかも? - novtan別館

    個人的な思いとしては、あの過剰な字幕の乱舞が始まってからテレビがつまらなくなったというか、コンテンツそのものではなくて、パッケージがつまらなくなったと感じている。つまり、スポーツ中継一つとっても、その試合の内容そのものではなくて、タレントによる解説とか、特定の選手への肩入れとか、字幕とか、そういうものが試合の中身の代わりに主役になろうとしている。コンテンツの受け取り方までもがある一定方向に誘導される。それに対する反発ってのもコンテンツの受け取り方のうちなのかも知れないと思うと実に腹立たしい。 このようなメタなコンテンツに慣れてしまったからこそ、よりダイレクトなニコニコ動画のような参加型メタコンテンツが流行るのかも知れない。ここでは既にコンテンツの価値はメタ的に楽しめるかどうかに変質してしまっている。コンテンツは素材に成り下がった。 元々映像コンテンツ、特にドラマではなくてノンフィクションや

    TVが面白いの面白くないのってのはコンテンツのメタ化が進んだからかも? - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/31
  • 【GDC08】岡本吉起氏のゲームデザイン哲学のキーワードは「結合」「分離」「調整」 | インサイド

    米サンフランシスコで開催されたGDCで21日(現地時間)、ゲームリパブリック代表取締役社長の岡吉起氏が「改造という創造」と題した講演を行い、開発に携わったゲーム開発のエピソードについて、ユーモアを交えて語りながら、自身のゲームデザイン哲学を「結合」「分離」「調整」という3つのキーワードで説明しました。 岡氏は元カプコン専務取締役として『ストリートファイターII』『バイオハザード』シリーズをプロデュースするなど、ゲームファンに著名なクリエイターです。2003年に退社後はゲームリパブリックを設立し、SCEから発売された「GENJI」シリーズや、『ブレイブストーリー新たなる旅人』などの開発を担当しています。 岡氏は初めに「ゲーム技術的進化を伴って発展するため、その最先端を走れば大きなビジネスチャンスに結びつきますが、僕はあまり得意ではありません」と切り出し、既存のゲームや他のジャンルの娯

    【GDC08】岡本吉起氏のゲームデザイン哲学のキーワードは「結合」「分離」「調整」 | インサイド
    n-e
    n-e 2008/02/27
    既存のものを改造(結合・分離・調整)して新しいものを作る話まとめ。楽しさは飽きられ、対応して複雑化すれば狭き門となり。"知識や経験を共有することで、「車輪の再発明」を避ける"
  • ゲームのリプレイを見るという娯楽は、ゲームという娯楽そのものとはかなり違っている。 - シロクマの屑籠

    ニコニコ動画やYouTubeを通して、ゲームリプレイを気軽にみることが出来る時代になった。Civilization4や信長のようなゲームから、改造スーパーマリオのプレイレポートまで、様々なゲームを自分でコントローラを握ることなく眺めることが出来る。気楽といえば気楽なことで、自分で神経を使わなくても、判断をしなくても、ゲームは勝手に進行していく。存外、つまらないと感じることは無い。アルコールを呑みながらでも楽しむことが出来る。 ただ、日常的にゲームを遊ぶ身としては、やっぱりこうやって離れた位置から眺めて喜んでいるだけというのは、娯楽を楽しんでいるとは言えてもゲームを楽しんでいるとは言えないな、とは感じる。やっぱりコントローラ握って*1、己の判断力なり経験蓄積なり動体視力なりを試すのがゲームなのであって、ただ観察に徹しているだけのゲーム視聴には、ゲームを手ずから遊んだという感覚が伴っていない。

    ゲームのリプレイを見るという娯楽は、ゲームという娯楽そのものとはかなり違っている。 - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/02/27
    楽器を演奏する/見る・聞く ゲームを遊ぶ/見る 楽器は後者が主体で、聞く人のためのもの ゲームは前者が主体で、遊ぶ人のためのもの 最近になってかどうかはわからないけど、楽しまれ方が増えているのかも
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