ピーク性能自体は決して高くないけれど、裏切らない、不実なことをしない、そんな「まじめ」な人の まじめさというものが、何かの価値につなげられないか、ときどき考える。 その人に成し遂げられる仕事というのは、もっと人件費の安い、中国だとかベトナムあたりに 外注しても変わらない。まじめさは、昔は美徳として尊重されたけれど、 今は何だか影が薄くて、損してばっかり。 まじめな人に任せたときの安心感というか、 信頼性維持のコストを削減できる部分であるとか、 それを実体を持った付加価値につなげることができるようになると、著とだけ幸せになれる気がする。 ピーク性能と信頼性 何かを生み出したり、何かを発想することに価値が生まれる業界には、「まじめなだけ」の人の出番はない。 問われるのは生み出されたものの品質、ピーク性能であって、 それを生み出した人がどれだけいいかげんであろうが、「まじめに作られた駄作」には、