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第27回 52歳の、斉須政雄さん。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 「今、大学に通って5年目です。 友人は就職して、頑張っています。 そんな中で、まだ就職もせずにいることに、 時々ものすごく不安になります。 そんな時に勇気をもらっているのが、 『53』での矢沢さんの話しだったり、 『調理場という戦場』だったり。 経験から語られる言葉は、本当に熱くて、深くて、 自分で考えて、自分で責任とって、進んでみよう。 失敗しても、その方が楽しそうじゃん。 と思わせてくれます。("たかひろ"さんのメールより)」 「矢沢永吉さんの『53』のコーナーに すごく励まされて、価値観変わったっていう感じです。 今までの私は、一生懸命な姿を見られると 恥ずかしいなぁと思ったりしてて、変な照れがあって。 だけど、永ちゃんの姿を垣間見て、 一生懸命を恥ずかしいなんて思う事の方が、
楽しいという事 楽しいことは、何なのだろうか?単純に説明できそうである。しかし、あまりにも範囲が広いため、そして対応した欲望がない様に見えるために、それをそれ以上に分解しないことが多い。「楽しい」を「楽しい」でしか、説明出来なければ、楽しいを作ることは経験的な話になってしまう。それでは面白くない。 理論的に楽しいとは、何なのだろうか?そして、何をしている時が一番楽しいのだろうか?楽しいとは感情なのか、それとも状況なのだろうか? 半分の回答 いきなりだが、半分だけ答えを言おう。楽しいとは自己効力感のことだ。自分が、力を持っていることを実感することが、「楽しい」である。例えば、テレビゲームでは「楽しい」という状態を維持するために、成長曲線とそれに対する抗力を、細かく管理することで、それを実現している。ただ、普通の人はそれでもいつかは飽きてしまう。 飽きるというのは、その効力に価値がなくなった時
一昨日、ゆうほたちと横浜へ野球を見に行って夜遅く帰ってくると、 小枝や草を入れた箱にセミの幼虫がいた。 ログハウスの前の土の上を歩いていたのだという。 きのうの朝起きると箱の外へ出て歩いている。 樹のかわりに障子の桟につかまらせてみたら、少しずつ上がっていく。 (サムネイルにマウスポインターをのせると、画面が切り替わります) しばらくすると、ゆうほが「背中がふくらんで出始めている」と叫んだ。 あわてて撮影に入る。 頭からどんどん抜け出し15分ほどするとお尻だけ残してぶら下がった。 よく見ると体と殻の間にへその緒のような命綱のようなものがついている。 体も羽もうすい色で緑がきれいだ。
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