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2007年9月4日のブックマーク (4件)

  • 猫と音楽 ( 歌われない歌。書かれない小説。)

    「明日」が今日になってしまいましたが、ワタリウム美術館で行われている寺山修司展『ノック』の関連イベント飴屋法水『302号室より』の感想続きです。 ベッドに腰を下ろした飴屋法水は台詞を続けながら(「19歳の寺山修司」としての入院生活のことだったか。日々の体調の変化、病気による死への恐怖、何もすることがなくばかり読んでいる、といったこと…だったかな)、開場時からベッドの上に置かれていたベルトを体に装着していく。ここで観客はそれがハーネスであったと知るのだけれど、私は事前にツイッターに上がったリハーサル写真ですでに知っていた。フルハーネス安全帯と呼ばれる工事作業員が使う物だ。というよりテレビのバラエティで芸人がリアクション芸で吊るされる時によく見るアレといったほうが馴染みがあるかもしれない。両肩から背中で十字にまわし、両脚の鼠径部と尻を通して、胸と腰で固定するのだが、付け方がむずかしいのだろう

    猫と音楽 ( 歌われない歌。書かれない小説。)
    na23
    na23 2007/09/04
  • 華麗なる内閣 - 「世に倦む」臨時革命政府のイマジネーション | 世に倦む日日

    内閣改造で安倍内閣の支持率が参院選前の水準に戻った。これまで、支持率30%を切って20%台に落ちた政権が再び国民の人気を回復するのは不可能と言われていた。今回のような事例を見るのは初めてだが、あれほどの不面目な惨敗を喫しながら安倍首相が辞任しないという事実も、それがそのまままかり通るという事実も、どれも信じられない異様な政治的光景であり、唖然として、批評する言葉も組み立てられないまま時間が経ってゆく。内閣改造の日の夜、日テレビは特番を組み、スタジオに自民党支持の文化人と政治家を集め、安倍内閣の心機一転と再出発を演出して持ち上げ報道した。スタジオには野党議員の姿はなく、身内だけで完全に固めていて、まるで一年前の安倍政権誕生時の異常報道に戻ったかのような風景だった。国民が選挙で民意を示した実感を持つことができないのは、テレビが民意を正しくありのままに報道しないからである。テレビ報道だけを見て

    華麗なる内閣 - 「世に倦む」臨時革命政府のイマジネーション | 世に倦む日日
    na23
    na23 2007/09/04
    妄想垂れ流し。ブログ公開って誰も止める人がいないという見本だな。
  • 「忘れる」という権利 (Dead Letter Blog)

    前回のEntryでは、被害者が非の打ち所のない・何も責めを負うべきところのない人間であったとしても、彼らが共感・同情心を世間から調達し続けられる保証はない、従って「被害者の人権の保障」を巡る「ゲーム」は被害者にとって苛酷である、という主張をした。 今回はもう少し踏み込んでみる。 藤井誠二はこのようなことを言っている。「愛する家族が殺されたら、復讐したいと思うのは当たり前」であり、それは「ごく当たり前の人間の感情や情緒」であると。 ここで先に結論を言っておく。僕は「そうは思わない」。 なぜなら人間は「忘れてしまう」生き物だからである。激しく恋焦がれる「感情」も月日と共に消え去っていくのが普通だし、愛する人が目の前で死ぬ絶望感のそのありありとした生々しさでさえ時間が奪い去ってしまう。憎しみも感情である以上またそうである。藤井が「人間としてそれが当たり前」という論理で押し通そうとするのなら、僕

    na23
    na23 2007/09/04
    同意。
  • 「被害者の人権」は普遍的か? (Dead Letter Blog)

    仮に子を惨殺された夫が、葬式で涙の一つも見せず、その翌日に女と遊びに行ってしまうような男だったとしよう。さらにもう一つ、彼の殺されたもしばしば育児をほったらかしにしながら男と浮気をし、家庭内不和が表面化していたと仮定を置いてみよう。つまり彼らの家庭は世間的に見て眉をひそめられるようなものだったのである。 さてその被害者遺族=夫がいかにも美味そうにタバコの煙をくゆらせながら記者会見でこのように主張するのである。 「犯人を決して許すことが出来ない。彼は許されないことをした。命をもって償わなければならない。」 光市母子殺人事件の被害者遺族である村氏はもちろん上記のような人間であるどころか、それとは正反対にあるような人である(ように少なくとも僕には「見える」)。彼は生真面目なサラリーマンであり、そして大恋愛の末結ばれたと待望の一人娘を一途に愛す良き家庭人でもあった。彼の家庭は現代の社会に

    na23
    na23 2007/09/04
    「この社会には母が死んだ時、自分の家族が犯罪事件に巻き込まれた時、振舞うべきフォーマットが存在し、その通りに「お芝居」をしない人間は激しい憎悪の対象になる」