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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (5)

  • 公務員増加論 - 狂童日報

    ここのところ公務員を削減しろ、という声はテレビをつけた瞬間耳に入るくらいよく言われている話である。戦後60年以上たって、従来の行政制度と新たな現実の間に齟齬が生じたり、組織を維持すること自体が自己目的化するようなって身動きが取れなくなっている状態になっていることは確かである。年金記録の保存・整理状態も把握できていなかった社会保険庁の不祥事がまさにそうであるように、中にいる役人たちも自分たちで自分の組織をほとんどコントロールできない状態なのである。 では行政組織や公務員は削減すべきなのかというと、全体としてはもっと増やす必要があることはあまりに明らかだと思う。医療の問題一つ考えれば明らかなように、40年前は自宅で分娩する人が少なくなかったのに対して今はほぼ全ての人が病院で出産するし、「普通に太っている」ことまで「メダボリック症候群」であるとして医療保険の対象になる。一世代前は普通に家族で介護

    公務員増加論 - 狂童日報
    na23
    na23 2008/03/04
    増やした公務員を養う負担は…。
  • 「成長」はあきらめよう - 狂童日報

    参議院選挙で自民党が大惨敗した。年金記録問題や農水相の事務所費問題という、実のところあまり議論するような中身がない問題が選挙の焦点になってしまい、自民党の「成長路線」に対する是非に関する議論がその影にかくれてしまったのが残念だった。 自民党の「成長路線」に対して、「貧富や都市・地方間の格差を拡大するからよろしくない」という野党の型どおりの批判が繰り返されたが、実のところあまり批判になっていない。自民党の執行部にしても、格差をあくまで「過渡期」だと考えている。最終的な目標は「国民全員を平等に豊かにする」ことであり、その点では野党と基的な違いはない。自民党は増税すら公約に掲げない野党の「格差是正」政策を「バラマキ型」で現実性がないと批判したが、その点に関する限りでは全くその通りで、「国民全員を平等に豊かにする」を目標に掲げる限り、やはり今の自民党の「成長路線」のほうが(もちろん無理に決まって

    「成長」はあきらめよう - 狂童日報
    na23
    na23 2007/07/30
    考えさせられる。
  • なぜ年金未納が多いのか - 狂童日報

    自民党のぼろ負けが確実視される参議院選挙に向けて、年金問題が焦点になっている。相変わらず与党は野党の攻撃に対して「財源は何処に?」と開き直って、「景気回復で対応」などと世迷いごとを繰り返してる。年金改革の中身云々以前に、この段階で与党の言うことは全て破綻している。 そもそも国会議員たちは、なんでこんなに「未納」(3割強)が多いのかという根的な問題を真面目に考えたことがあるのだろうか。 だいたい年金というのは「老後が不安」ということを前提にしている。「老後が不安」という感情は、裏返して言えば「いまはそれなりの安定した給料をもらって働いている」からこそ、言い換えれば「定年」というものをリアルに想像することが出来るからこそ起こるものである。「来月は仕事があるだろうか」という不安を日々抱えている派遣社員やフリーターにとって「定年」など頭の片隅にすら上らないだろうし、そういう現実味のない「定年後」

    なぜ年金未納が多いのか - 狂童日報
    na23
    na23 2007/07/15
    一ヶ月先のこともわからない人々から「定年後のために強制徴収」という無理
  • 希望は戦争 - 狂童日報

    格差社会論も傷気味と思っていたところに、『論座』1月号に赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章を読んだ。大げさじゃなく、この1年の格差社会論で最も刺激的で面白い論文だった。 今までの格差社会論の多くは、「真面目に働く庶民」を前提とした「新自由主義」「勝ち組」批判が多かったし、フリーターやニートの問題も、「新自由主義」「勝ち組」と呼ばれる層が批判の矛先になっていた。しかしこの現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える。そうして彼は主張する。いま「平和な社会」の維持を語ることは、定職と家庭をもつ上の世代の豊かな生活を維持し、若者を家庭ももてないような弱者にとどめておく、現在の状態を維持することでしかない。それに比べれば、国民全員が平等に苦しむ戦争

    希望は戦争 - 狂童日報
    na23
    na23 2006/12/07
    戦争支持の心性。
  • なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報

    昔ちょっと問題提起だけしてそのままになっていたのだけれど、若干だけ考えがまとまったので書いてみたい。 (1)大学生の大衆化 若者の政治運動は昔から、というか世界的に見ても学生が主体である。学生運動が最も盛んだったのは明らかに1960年代だが、今と明確に異なるのは、その頃の学生は明確にエリートだったことである。少なくとも、「末は博士か大臣か」という周囲の期待を背負いながら受験勉強をしてきた世代である。「俺たちが将来の日をリードするんだ」という意識が強く、また周囲もそのように期待していた時代には、政治や社会の問題に対して敏感に反応し、かつ行動することがある意味学生の証であるようなところがあり、また学生が熱く語る怒りや理想にも有り難味が感じられたのである。 しかし1970年代以降、大学の進学率は20パーセントを超えて大衆化し、一流大学の卒業生もほとんど平凡なサラリーマンになることが当たり前にな

    なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報
    na23
    na23 2006/08/12
    コメント蘭充実。クールな管理人。エントリのほどよい長さと質の良さ。
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