兵庫県明石市二見町生まれ。生家は代々蛸漁師をしていた。幼少期から「貧乏と差別」という二つの理不尽を感じていた。父親は小学校を出て漁師になり、母親も中卒で就職し、父親は懸命に働いているにもかかわらず家庭は貧困で、本人曰く“貧乏漁師”の家庭であったという[3]。 4歳下の弟はチアノーゼで生まれ、一生立てないだろうと宣告された。しかし、家族全員の協力のもと、弟は4~5歳で立てるようになり、その後自立できた。弟は人柄は良いにもかかわらず、足の障害があるため差別を受け、地元の学校ではなく、自宅から遠い他の学校に行くように言われた。当時の兵庫県知事は金井元彦で優生保護法の推進第一人者であり、兵庫県庁にその部署まで作り「障害のあるものはこの世から抹殺する」ということを方針に掲げ「障害を持ち生まれそうだったら、殺してしまえ」という運動を全国の先頭を切って行った知事であった。この政策のため、障害者であった弟