1966年6月30日、静岡県清水市の味噌加工工場の専務の自宅で一家4人が襲われ、全員が殺害された上で現金が盗まれ、自宅が放火され全焼した[2]。 被告人として起訴された袴田巌(はかまた いわお)[注 3]が冤罪を主張したのに対し、1980年(昭和55年)に死刑の有罪判決が確定。袴田は死刑確定後の1981年(昭和56年)から2度の再審請求を行い[9]、2014年(平成26年)3月、第2次再審請求審で静岡地裁が再審開始と、袴田の死刑および拘置の執行停止を決定し、袴田は釈放された[9]。その後、検察側が東京高裁が2018年(平成30年)に再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却したが、最高裁から2020年(令和2年)12月に同決定を取り消し、審理を同高裁に差し戻す決定が出された[9]。 差し戻し後の審理で、東京高裁は2023年(令和5年)3月に静岡地裁の再審開始決定を支持する決定を出し[10]、東