耳塚(みみづか、朝:귀무덤)もしくは鼻塚(はなづか、朝:코무덤)とは戦死者の耳や鼻を弔ったとされる塚である。文禄・慶長の役における朝鮮および明兵の戦死者の鼻を弔ったものが有名。これ以外にも日本全国に耳塚と呼ばれるものは多数存在するが、実際に耳や鼻が葬られているものは確認されていない[1]。 概要[編集] 戦国時代までの武士は戦功の証として、高級将校は死体の首をとって検分し首塚で供養していたが、一揆(兵農分離前の農民軍)や足軽など身分の低いものは鼻や耳でその数を証した。切捨御免など戦功とならない殺人は検分や供養をしないため、打捨と呼ばれる。 『古事談』において、源頼義は「前九年の役で討ち取った首から片耳を集め乾し、皮古二合に入て上洛したことから、本来は殺生を行った罪人であり地獄に堕ちるべき人間だが、後年仏門に入って耳納堂で供養し過去の行いを後悔したため成仏できた。しかし息子の義家は罪も無い人