中国においては、漢の時代より后妃や皇族、富豪らが所有する「荘」もしくは「園」と呼ばれるものが存在し、これが荘園の元となった。ただし、当時の「荘」や「園」の主体は娯楽のための別荘であり、これに附属の庭園、更には周囲の田園や山林を含めたものであった。六朝時代の南朝では、別墅(べっしょ)・別業と呼ばれて江南貴族の中には数百頃の田畠を持つ者も存在したが、あくまでも別荘の一部として捉えられていた。 中唐以後均田制が崩壊すると、宮廷や貴族、武人、地方の豪族などが個人で田畠を財産として私有する風潮が強まり、各地で荘田・荘園が形成されるようになる。五代には貴族層が没落し、宋初には科挙制度が整備される一方で武人の勢力が抑圧されるようになったために、地方の豪族から官僚が生み出され、その庇護によって当人及び一族の荘園が発展するという構図が描かれるようになった。荘園を構成する田畠は主に皇帝よりの恩賜地や墾田、質入