日本の鉄道会社は、有名な神社・仏閣への参拝客輸送を目的として設立されたケースが少なくない。成田山新勝寺も江戸時代から多くの参拝客を集めており、1897年(明治30年)に総武鉄道佐倉駅を起点として成田鉄道(初代)が開業すると、多くの参拝者が利用した。その後、1900年代に入ると全国的に電気鉄道ブームが起きる中で、東京と成田を直結する電気鉄道が3者競願で計画されたが、後に3者は合同し1903年に東京府東京市本所区押上 - 千葉県印旛郡成田町間を軌道条例によって出願。1907年5月28日に押上 - 成田・佐倉町宮小路 - 佐倉停車場について特許を得て、1909年6月30日に京成電気軌道株式会社を設立した。日露戦争後の経済不況のなかで株式募集は難航したといわれている。 1911年11月9日に第一期工事として押上 - 市川(仮・現江戸川駅西方)・曲金(現・京成高砂) - 柴又間を着工し、翌1912年