第二インターナショナルは、第一次世界大戦の際、加盟する社会民主主義政党が国際主義を放棄して「祖国防衛」を支持したために瓦解した。1914年8月、ドイツ社会民主党の国会議員団は「われわれは危機の瞬間にあって祖国を見捨てるようなことはしない」[11]と声明して軍事公債に賛成投票した。イギリスでは労働党のアーサー・ヘンダーソン、ジョン・ホッジとジョージ・バーンズ、フランスでは社会党のジュール・ゲードとマルセル・サンバが挙国一致内閣に入閣した。 反戦派はスイスのツィンメルワルトで1915年9月に国際会議(ツィンメルワルト会議)を開き、国際主義を復活させようとした。しかしツィンメルワルト会議に集まった社会主義者らも十分に意見が一致したわけではなく、平和主義的な右派と革命的な左派に分かれた。左派の中心となったボリシェヴィキは排外主義者や日和見主義者と絶縁して第三インターナショナルを設立することを主張し