ニッポン放送と文化放送の2社による「中央テレビジョン」(仮称)の免許申請に、新たに映画3社(東宝、松竹、大映)が加わることとなり、社名を一新することとなった。その際開かれた五社会議にて、ニッポン放送代表取締役専務(当時)の鹿内信隆が「テレビというものはとにかく(略)庶民の人々に愛されるものでなくてはならぬから、最もポピュラーな名前を選ぶべきではないか。そこで日本でポピュラーといえばサクラとか富士だから、仮に『富士テレビ』と言うのはどうか」と提案。同席した文化放送社長の水野成夫が真っ先に賛成し、他の代表も同意したことで決定された。こうして1957年11月1日「株式会社富士テレビジョン(現:株式会社フジ・メディア・ホールディングス)」が設立された。フジサンケイグループの放送系企業及び株式会社TOKYO TOWERなどが加盟する「中央ラジオテレビ健康保険組合」の名称は、仮称の中央テレビジョンに由