創価学会会員と語る池田大作。それを取り囲む創価学会幹部、北条浩、竹入義勝ら。大石寺の参道にて。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ[2]。北条釐三郎の長男として生まれる。先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第3代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。男系では伊達政宗の子孫にあたる。 学習院中等科卒業。学習院時代の同窓に、作家の三島由紀夫がいる。海軍兵学校を第73期生で卒業後、海軍中尉として終戦を迎える。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放の仮指定を受ける[3]。 日蓮正宗法華講から創価学会に移籍後、1951年(昭和26年)10月、男子部第2部隊長を振り出しに、主任参謀、副理事長、副会長、理事長などを歴任。 1964年(昭和39年)11月17日、公明党結成に参加し、公明党副委員長に就任する。同年12月、公明党書記長に就任する。1965年(昭和40年)7月4日、第