進歩党事件(しんぽとうじけん)は、第一共和国時代の大韓民国における進歩主義政党である進歩党の委員長・曺奉岩を初めとする幹部が、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のスパイと接触して、北朝鮮が主張している南北の平和統一を主張した」という嫌疑で逮捕・起訴され、曺奉岩が処刑された事件。1956年5月の大統領選挙で支持を大きく伸ばした曺奉岩に脅威をおぼえた李承晩大統領と与党・自由党が仕組んだとされている。2011年に大法院によって冤罪事件であったことが証明され、処刑された曺奉岩の名誉は回復された。 1956年5月に行われた第三代大統領選挙に出馬した曺奉岩は、(政府与党の意を受けた)官憲によるあらゆる弾圧と不正選挙にもかかわらず、前回立候補(第二代大統領選挙)した時の3倍近くにあたる216万票余を獲得、民主党の大統領候補者であった申翼熙の逝去後、李承晩の政敵として頭角を現し始めた。 選挙後の同年11月