胡 耀邦(こ ようほう、フー・ヤオパン、1915年11月20日 - 1989年4月15日)は、中華人民共和国の政治家[1]。字は国光、国務院副総理、第3代中国共産党中央委員会主席・初代[注釈 1]中国共産党中央委員会総書記[1]。彼の死が後の六四天安門事件の引き金となった[2]。 総書記選出までの経歴[編集] 1949年の政治協商会議記念号掲載の写真 1933年、中国共産党に入党[1]。中華人民共和国の建国後は、中国共産主義青年団(共青団)第一書記、陝西省党委員会第一書記などを歴任したが、文化大革命が始まると1967年に実権派と批判されて失脚[1]。後に党主席となる華国鋒は、胡耀邦が湖南省党委に下放された時の部下だった。 文革後期の1972年に復活。鄧小平が2度目の復活を果たした1975年に中国科学院副秘書長となり[1]、鄧小平が打ち出した「全面整頓路線」(軍隊、地方の党・行政組織、工業、