天文11年(1542年)12月26日、岡崎城主松平広忠の嫡男として岡崎城において生まれる[2][注釈 1]。生母は緒川城主水野忠政の娘・大子(伝通院)[2]。幼名は竹千代(たけちよ)[2][13]。胞刀の役は酒井政家、蟇目の役は石川清兼が務めた[14]。 3歳のころ、水野忠政没後に水野氏当主となった水野信元(大子の兄)が尾張国の織田氏と同盟する。織田氏と敵対する駿河国の今川氏に庇護されている広忠は大子を離縁。竹千代は3歳にして母と生き別れになる[注釈 2]。 天文16年(1547年)8月2日[17]、竹千代は数え6歳で今川氏への人質として駿府へ送られることとなる。しかし、駿府への護送の途中に立ち寄った田原城で義母の父・戸田康光の裏切りにより、尾張国の織田信秀へ送られた。だが広忠は今川氏への従属を貫いたため、竹千代はそのまま人質として2年間尾張国熱田の加藤順盛の屋敷に留め置かれた。このとき織