古代より中国では、桐は瑞木と呼ばれ、優れた皇帝が現れた時に姿を見せる伝説の鳥鳳凰の止まる木として神聖視された。それに由来して日本でも桐は高貴な紋様となり、桐、竹、鳳凰の天皇の袍の文様が生まれるに至った[5][6]。 「続日本後記」によれば、833年(天長10年)には、平安京豊楽院での儀式で梧桐、鳳凰、麒麟、呉竹の織り込まれた文様が使われていたという。これらはいずれも天皇が着る黄櫨染御袍に織り込まれたモチーフである[5]。 「日本紀略」の弘仁11(820)年の条には嵯峨天皇が黄櫨染御袍を用いたことが見える。それが、すでに桐、鳳凰、竹の文様だったかは不明だが、嵯峨天皇は中国文化を愛した天皇なので使われた可能性もある[6][5]。 「延喜御記」によれば、延喜7年(907年)に天皇と臣下が着る朝服が同じになるのは避けるべきだという左大臣の進言があったと記されているので、この時点ではまだ桐の文様は天
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