タグ

kashmirとtibetan-buddhismに関するnabinnoのブックマーク (2)

  • ラダック - Wikipedia

    ラダックにおける人の痕跡は青銅器時代までさかのぼることができる。その頃に掘られたと思われる岩面彫刻から、当時の人々が中央アジアの草原から来た狩猟民族であることが推測されている。この狩猟民族は今でもカザフスタンや東トルキスタンに住んでいる狩猟民族と先祖を同じくすると考えられている。また、次の移住者としてやってきたダルド族が先住民と混ざる、あるいは入れ替わる前、チベットビルマ語族がこの時代、この地域に住んでいた可能性もある。初期仏教は少なくとも紀元前2世紀にはラダックに伝播したと思われる。クシャーン朝時代の仏教遺跡も見出される。初期仏教はこの地域へ経てさらに東へ伝わっていく。7世紀、チベットの吐蕃王国がシャンシュン王国を併合、ラダックと西ヒマラヤ地方を支配し、チベット民族が定着してゆく。8世紀になるとチベットから流入した仏教が再び盛んになる。 841年に吐蕃が滅亡すると、842年に中央チベット

    ラダック - Wikipedia
  • カシミール - Wikipedia

    現在のカシミールの実効支配勢力図 ジャンムー・カシミール州内の宗教分布 カシミールの図: 緑はパキスタン支配, オレンジはインド支配. 赤枠内は旧ジャンムー・カシミール藩王国の支配地 カシミールあるいはカシュミール(カシミール語: کٔشِیر / कॅशीर, 英語: Kashmir, ウルドゥー語: کشمیر‎)は、インド北部とパキスタン北東部の国境付近にひろがる山岳地域である。標高8000m級のカラコルム山脈があり、パキスタンと中国の国境には世界第2の高峰K2がそびえる。 カシミールの帰属をめぐっては、インド・パキスタン・中国の3国、特に印パの対立が絶えない。中世にはカシミール・スルターン朝が支配し、その時に住民の多くがムスリムに改宗した[1]。対立の背景にはイスラム教(パキスタン)とヒンドゥー教(インド)の対立があり、インド実効支配地域でのイスラム教系組織による分離独立運動も広義

    カシミール - Wikipedia
  • 1