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kashmirとwarに関するnabinnoのブックマーク (2)

  • 第二次印パ戦争 - Wikipedia

    1947年から1948年の第一次印パ戦争後、カシミール地方については、両国で分割したままの実効支配が続き、最終的な帰属は決定されなかった。停戦監視のため、国際連合インド・パキスタン軍事監視団 (UNMOGIP) が派遣されていたが、不穏な状態が続いていた。 1962年の中印国境紛争で、アクサイチンに中国人民解放軍が侵攻、中華人民共和国が実効支配をするようになると、パキスタンもそれに影響を受け、1965年8月には武装集団をインド支配地域へ送り込んだ。これにインド軍が反応し、第二次印パ戦争が勃発した。 インド軍はパンジャーブでも攻勢を行い、パキスタンは守勢を取らざるを得なかった。国際社会の圧力により、両国は9月20日の国際連合安全保障理事会決議211を受諾し、9月23日には停戦となった。その後は、UNMOGIPおよび国際連合インド・パキスタン監視団 (UNIPOM) により停戦監視が行なわれた

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  • 第一次印パ戦争 - Wikipedia

    第一次印パ戦争(だいいちじいんパせんそう)は、カシミールの帰属をめぐり、インドとパキスタンの間で行われた戦争。印パ戦争の最初のものである。この結果、カシミールは両国が分割して実効支配することとなった。 停戦直前のカシミール 1945年9月2日に第二次世界大戦が終わった結果、イギリス領インド帝国は解体される(イギリスがインド植民地を手放す)ことになったが、1947年8月15日に正式に独立するにあたり、宗教対立の影響からヒンドゥー教徒中心のインド連邦とイスラム教徒中心のパキスタンとに分かれて独立することとなった。イギリス領インドは直轄領および藩王国からなっており、ほとんどの藩王国は、インドまたはパキスタンに帰属することで、問題は少なかった。しかし、いくつかの藩王国では問題が生じ、両勢力に挟まれたジャンムー・カシミール藩王国についても同様であった。 ジャンムー・カシミール藩王国は藩王のハリ・シン

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