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kofunとfuttsuに関するnabinnoのブックマーク (3)

  • 房総の古墳を歩く/富津市の古墳

    富津市の古墳(内裏塚古墳群) 県内の横穴の4割が集中するこの地域には、高塚古墳がほとんどない。そんな中にあって、能満寺古墳など県を代表する4世紀代の大規模古墳を訪ねるコース。 東京湾に突き出た富津岬は、東京湾を航行する船の目標で、古くから旧東海道(畿内大和から常陸石岡まで)の房総の玄関口で、畿内中央とのつながりの強い地域だった。 内裏塚古墳群は、5世紀前半から7世紀にかけての古墳群で、前方後円墳11基、方墳5基、円墳12基、墳形不明4基からなる大古墳群で、内裏塚、三条塚、九条塚、 稲荷山古墳など100mを超える大型前方後円墳と1辺45mの方墳・割見塚などを含んでいる。 (青堀駅前古墳) 内房線青堀駅のホームに降り立つと、目の前に上野塚古墳を見ることができる。ロータリを左回りに半周するとコンクリートの擁壁で固められた古墳の後円部の一部だけが残された上野塚古墳の前に着く。日東バス富津火力行き

  • 富津市観光ガイド

  • 内裏塚古墳 - Wikipedia

    内裏塚古墳(だいりづかこふん)は、千葉県富津市二間塚字東内裏塚にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。千葉県内では最大規模の古墳で[1]、5世紀中頃の築造と推定される。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 地元では「オダイリヤマ」とも呼ばれている。全長約144メートルで、内裏塚古墳群中最大の古墳となる。規模からも小糸川下流域の盟主墳となっていて、5世紀中頃に造成されたと推定されている。 当時この地域は須恵(末)の国造の地といい、「国造紀(先代旧事紀)」によれば、須恵には茨城国造の祖、建許侶命(たけころのみこと)の子・息大布日意弥命(おおふひおみのみこと)が任命された、とされる。大布日意弥命の兄弟、深河意弥命(ふかがわおみのみこと)は小櫃川流域の馬来田国造として任命されている。 須恵国造は小糸川下流域全域を支配下に置いたとされている。そのため内裏

    内裏塚古墳 - Wikipedia
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