1898年に湖南省の寧郷県で生まれる(劉少奇故居を参照。毛沢東の出身地である韶山とは20km程度の距離で、毛沢東とは広い中国の中では「同郷」といって差し支えないほど出身地が近い)。1913年に長沙に行き鉅省中学に入学。1920年に湖南省の中国社会主義青年団(後の中国共産主義青年団)に入団。1921年にソビエト連邦に入国し、モスクワの東方勤労者共産大学で学ぶ。同年、中国共産党に入党。1922年にはコミンテルンが主催した極東諸民族大会に参加。同年に帰国後、江西省の安源炭鉱のストライキを李立三らとともに指揮して闘争を成功させ、その後も主に労働運動で活躍した。1927年に党の中央委員に選出される。 第一次国共合作の崩壊後は中国国民党支配地域(白区)を中心とした様々な地下活動に従事。1934年10月より長征に参加し、遵義会議では毛沢東を支持した。1935年の十二・九運動の発生を受けて党中央より華北に
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