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maliとtuareg-peopleに関するnabinnoのブックマーク (6)

  • トンブクトゥ - Wikipedia

    トンブクトゥ(トゥアレグ語: ⵜⵏⵀⵗⵜ、コイラ・チーニ語: Tumbutu、フランス語: Tombouctou、英語: Timbuktu)は、西アフリカのマリ共和国内のニジェール川の中流域、川の湾曲部に位置する砂漠の民トゥアレグ族の都市である。またトンブクトゥ州の州都である[3]。人口は54,629人(2009年国勢調査[4])。 サハラ南端とニジェール川北部を結ぶ交易路の結節点に位置するトンブクトゥは、かつてマリ帝国やソンガイ帝国の中心地として、またイスラームと商業の十字路として栄えたことでよく知られている[5]。ヨーロッパの人々はその富を聞きつけ来訪を試みたが、その困難さから「トンブクトゥ」の言葉自体が「異国」や「黄金郷」などの比喩として用いられるほどであった[6]。 木の骨組みの上に粉々に砕かれた粘土や割栗石を整形することで建築された建物が立ち並ぶ町並み[6]は世界遺産にも登録され

    トンブクトゥ - Wikipedia
  • イヤド・アグ・ガリー - Wikipedia

    イヤド・アグ・ガリー(アラビア語:اياد اغ غالي、生年不詳)は、マリ共和国北部アザワドを拠点に活動するイスラーム主義組織アンサール・アッ=ディーンの指導者。1990年頃から、マリにおける様々なトゥアレグ族の民族運動に参加していたとされる[1]。 2012年5月26日に、自身が指導するアンサール・アッ=ディーンとアザワド解放民族運動(MNLA)が合同し、マリ北部のアザワドを中心としたイスラーム国家を建国することで合意したが、後に両者の対立が鮮明となり、アンサール・アッ=ディーンはMNLAによるアザワド独立を却下[2]。同年6月27日のガオにおけるMNLAとアンサール・アッ=ディーンとの間で行われた戦闘の結果、MNLAはガオから駆逐され、アンサール・アッ=ディーンはマリ共和国の北部を支配下に置いたと宣言した[3]。 2012年7月30日には、ユネスコが同月28日に「危機にさらされてい

  • アザワド - Wikipedia

    MNLAが主張するアザワドの位置。トゥアレグ族が主に住むのは濃い灰色の点の地域。西は主にムーア人、南は主にサハラ以南の人々が住んでいる。 アザワド(トゥアレグ語: ⴰⵣⴰⵓⴷ[4], アラビア語: أزواد‎, Azawad)は、マリ共和国北部の地域。反政府勢力アザワド解放民族運動(Azawad National Liberation Movement、MNLA)をはじめとしたグループが2012年初頭からの紛争でマリ軍をトゥアレグ族が主張する領土から駆逐した後に、一方的に独立宣言を行った地域である。ただし国際的な国家の承認は得られていない。MNLAはマリの地方行政区画のうちトンブクトゥ州、キダル州、ガオ州、モプティ州の一部から成っていると主張している[5]。南西をマリ、南をブルキナファソ、北西から西にかけてをモーリタニア、北をアルジェリア、東から南東にかけてをニジェールに囲まれている。サ

    アザワド - Wikipedia
  • アザワド独立宣言 - Wikipedia

    アザワド独立宣言(アザワドどくりつせんげん)は、2012年4月6日、マリ共和国北部を実効支配する反政府勢力アザワド解放民族運動(Azawad National Liberation Movement、MNLA)が一方的に行った独立宣言である。アザワド(Azawad)の成立を宣言したが、これは国際的な承認を得られていない。 1960年にマリが独立して以降、遊牧民トゥアレグ族は反政府闘争を続けてきた。また、トゥアレグ族はマリのほかニジェールにもいるが、彼らの中にはリビアでカダフィの傭兵として働いていた者が多数いた。こうした者たちが2011年リビア内戦によるカダフィ政権の崩壊によって、高性能の武器とともにマリに流入・帰還した結果、軍事力はさらに強化された。やがてトゥアレグ族は「アザワド解放民族運動」(MNLA)を組織し、2012年1月中旬より新たに独立を求め蜂起。武器や資材が不足する政府軍を相手

    アザワド独立宣言 - Wikipedia
  • マリ軍事クーデター (2012年) - Wikipedia

    2012年マリ軍事クーデター(マリぐんじクーデター)は、2012年3月21日、マリ共和国の首都バマコにて発生した軍によるクーデターである。 背景[編集] マリ共和国では1960年の独立以降、遊牧民トゥアレグ族による反政府闘争が続いてきた[1]。トゥアレグ族は2011年リビア内戦に参加したことにより戦闘経験を積んだほか、高性能の武器をマリに持ち帰ることにより軍事力を強化した[2]。反政府組織・アザワド解放民族運動 (MNLA)のもと組織化されたトゥアレグ族は2012年1月中旬より新たに独立を求め蜂起し、政府軍との紛争(トゥアレグ反乱 (2012年))が勃発したが、軍内部からは武器や資材が不足しているといった不満が生じ、また多くの政府軍兵士が死亡もしくはトゥアレグ族勢力に拘束されていると思われたことから、政府の対応に不満が溜まっていった[1]。 推移[編集] アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(20

    マリ軍事クーデター (2012年) - Wikipedia
  • Mass rape, amputations and killings – why families are fleeing terror in Mali

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