愛知貰い子殺人事件(あいちもらいごさつじんじけん)は、1913年(大正2年)6月4日に発覚した、愛知県愛知郡愛知町(現在の名古屋市中川区及び中村区)日置若狭に在住の坂倉しげ(45歳)を主犯とする大量殺人事件である。 主犯のしげは、伊勢藤堂藩士の娘として生まれた。結婚して坂倉家の女となった[1]。1898年より私生児を40 - 50円の養育費と共に引取り、その私生児を次々と殺害していった[1]。1913年(大正2年)5月には既に200人ほど殺害していた[1]。日露戦争時には夫が出征、死亡するなどして、未亡人となった女性の子供を次々と引き取り、殺害した[1]。犯行の足がつかないように2、3人殺すごとに引越しを繰り返していた[1]。共犯者の沖つた(45歳、名古屋市中区在住)[2]と猪飼なか(62歳、愛知郡天白村平針在住)[2]は浮気相手を連れ込むための隠れ家で貰い子を殺害した[3]。子供を40円