さくら坂公園[注釈 3]内にある「乃木大將生誕之地」碑 嘉永2年11月11日(1849年12月26日)、長州藩の支藩である長府藩の藩士・乃木希次(150石[7])と壽子(ひさこ、「壽」とする文献もある[8])との三男として、江戸の長府藩上屋敷(毛利甲斐守邸跡、現・東京都港区六本木)に生まれた。乃木の長兄および次兄は既に夭折していたため世嗣となる。幼名は無人(なきと)。兄たちのように夭逝することなく壮健に成長して欲しいという願いが込められている[8]。 父・希次は江戸詰の藩士であったため、乃木は10歳までの間、長府藩上屋敷において生活した。 幼少時の乃木は虚弱体質であり臆病であった。友人に泣かされることも多く、「乃木無人」(なきと)の名にかけて「泣き人」(なきと)とあだ名された。 父は、こうした乃木を極めて厳しく養育した。例えば、「寒い」と不平を口にした7歳の乃木に対し、「よし。寒いなら、暖
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