^ 北京官話のことで満洲語とは異なる。満洲語の方は「固有満洲語」と呼ばれる。 ^ 満洲帝国治安部警務司『康徳八年十月一日 満洲帝国現住人口統計』による。 ^ 1圓=10角=100分=1000厘 ^ 1937年以降。1936年まではUTC+8。 満洲国の地図 満洲国(まんしゅうこく、旧字体:滿洲國、拼音: Mǎnzhōu Guó)は、満洲事変により日本軍が占領した満洲(現在の中国東北3省遼寧省、吉林省、黒竜江省)、内蒙古、熱河省を領土として1932年(昭和7年/大同元年[注釈 5])に成立した国家[1][2][3]。一般に日本の傀儡国家と見做されている[4]。 首都は新京(旧長春)[1]。日本民族・満洲民族・漢民族・モンゴル民族・朝鮮民族の「五族協和」による「王道楽土」建設をスローガンとし[5]、清朝の廃帝愛新覚羅溥儀を執政に迎え、1934年(昭和9年/康徳元年)から溥儀を皇帝とした帝制へ移
19世紀、外モンゴルから内モンゴルにかけては、清朝の支配下に置かれていた。 20世紀に入ると清朝は北方の自国領の人口密度を高くすることでロシア帝国側の侵略を防ぐ政策を実施し、それまでの辺境への漢人入植制限を廃止した。内モンゴルでは遊牧地が漢人により耕地に変えられ、モンゴル民族のうちに反漢・独立感情が高まり、反漢暴動が頻発した。中には貴族のトクトホ(モンゴル語版、ロシア語版、中国語版)のように「馬賊」となり漢人襲撃を繰り返す者もいた。一方で知識人ハイシャン(中国語版、英語版)らは漢人商人の活動に反発を覚え、いまだ危機感の薄かった外モンゴル地域と連携して独立を達成することを画策。外モンゴル貴族のツェレンチミド(モンゴル語版、中国語版、英語版)らと協力し外モンゴル諸侯に独立のための説得工作を行った。 ボグド・ハーン 1911年に辛亥革命が起こると、既にハイシャンらの説得工作が功を奏し、独立のため
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