卜部 兼好(うらべ の かねよし / うらべ の けんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。私家集に『兼好法師家集』。出家後は俗名を音読みした兼好(けんこう)を法名としたことから、兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれる。 治部少輔・卜部兼顕の子。鎌倉および京都に足跡を残す。吉田神社の神官の家系である吉田流卜部氏は後に吉田氏を名乗ったため、江戸時代以降は吉田 兼好(よしだ けんこう)とも称される。しかし、現在では吉田流卜部氏の一族であること自体が吉田兼倶による捏造であるとの見解がある。 卜部氏は、古代より卜占を司り神祇官の官職を務める家系であり、「卜部氏系図[1]」(『尊卑分脈』)によれば、卜部兼好の父は治部少輔卜部兼顕であり、兄弟に大僧正慈遍、従五位下民部大輔卜部兼雄がいるとされている。兼好の祖父・従四位下右京