三代金光様の金光攝胤 1859年(安政6年)、備中国浅口郡大谷村にて赤沢文治(川手文治郎)、後の金光大神(こんこうだいじん)が開いた創唱宗教である。同じ江戸時代末期に開かれた黒住教、天理教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。 現在の本拠地は岡山県浅口市金光町大谷である(旧町名由来の金光町という地名は金光教の本部があることから付けられた)。 祭神は天地金乃神(てんちかねのかみ)と生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)である。 教主は金光浩道(六代金光様)[1]、教務総長は橋本美智雄[2]である。日本を中心に約1500の教会・布教所、約37.5万人の信者を有する[3]。 従来の金神思想では日柄や方位の吉凶を重視し、厳密な日柄方位の遵守を求めたが、金光教祖は自身の体験から、そういう凶事は人間の勝手気ままから生じる神への無礼が原因であり、神への願いにかなう生き方や行動を行いさえすれば、すべて