1931年2月1日にソビエト連邦内のロシア共和国、ウラル州(ロシア語版)ブトカ地区ブトカ(ロシア語版)村(あるいはバスマノフスコエ村[9])に誕生する。家系はウラル地方の独立農民である。建設労働者であった父は「労働者階級の分解と既存の法秩序に対する不満の導入を目的として、労働者の間で組織的な反ソ扇動を行った」罪(富農撲滅運動の罪)で無実の罪を着せられ収容所生活を送った。食糧や物資の不足を利用して、戦争やソビエト権力の死が迫っているという挑発的な噂を流しながら、不健全なムードを作り出そうとした。自伝によれば、エリツィンは幼年期にロシア正教会でキリスト教の幼児洗礼を受けたという。第二次世界大戦中に武器庫から盗んだ手榴弾を分解している最中に、手榴弾が爆発し、左手の親指と人差し指が失われた。指が欠損していたため、エリツィンは兵役に就かなかった。ベレズニキ (Berezniki) にあるプーシキン高