弁護士活動を通じて日本社会党と関係が生まれ、所属していた弁護士事務所長からの薦めもあり、1986年(昭和61年)、第14回参議院議員通常選挙に日本婦人会議神奈川県本部の支援を受け[3]、社会党公認で神奈川県選挙区から立候補し初当選。 社会党副書記長、社会民主党副党首などを歴任。離党後も、「アムネスティ議員連盟」事務局長を務めた。 2009年10月16日、法務省にてジョン・ルース(左から2人目)ら各国大使と 1997年(平成9年)1月に社民党を離党、民主党に入党する。社会党時代から続く神奈川県の自治労や連合の支持を引き続き受け、複数回当選を果たす。民主党・新緑風会副会長、党広報委員長を歴任。民主党の次の内閣では男女共同参画人権総務大臣、法務大臣を歴任し、2007年(平成19年)8月、党総務委員長に就任。 2004年10月4日、参議院本会議で代表質問に立ち、内閣総理大臣小泉純一郎の所信表明演説