アルコアでのキャリアが停滞したため、1939年に家族でデトロイトに移り、自動車製造業者組合の地域統括者に就いた。こうしてロムニーは自動車産業に関わるようになった。第二次世界大戦中には自動車の戦時生産を協議する政府の諮問委員会に参画し、1942年に自動車製造者組合の事務総長に就任した。1941年にはデトロイト商工会議所の会頭にも就任していた。第二次世界大戦中には自動車製造会社間での戦時生産の最適化を図る「自動車戦時生産局」の構築に尽力しその指揮をとった。オートモーティブ・コミッティング・フォー・エア・ディフェンスやデトロイト・ビクトリー・カウンシルの設立にも関わった。ウォー・マンパワー・コミッションのデトロイト地区での労務管理委員会の任も務めた。こうしてロムニーは第二次世界大戦の最中に自動車産業界のスポークスマンとなった。戦時生産のやり方や労務や管理などについて連邦議会に呼ばれて語った。 1