東京都目黒区出身[1]。目黒区立宮前小学校、世田谷区立八幡中学校、早稲田大学本庄高等学院、早稲田大学第一文学部卒業[1]。 早大では雄弁会に加わり、同会の副幹事長を務めた。早大在学中、中国の南京大学に短期留学し[1]、帰国後は政策集団「自由社会フォーラム」で政策立案の研究に従事した[1]。 2011年9月5日、野田内閣の内閣総理大臣補佐官辞令交付後の記念撮影にて 1993年、細川護煕が結党した日本新党に入党し、党目黒支部長に就任。同年の東京都議会議員選挙に日本新党公認で目黒区選挙区から出馬し、当時最年少で初当選を果たした[1]。日本新党は1994年に解党したが、新進党には参加せず、1996年の旧民主党の結党に参加した。 1996年、都議を1期目の任期途中で辞職。同年の第41回衆議院議員総選挙に東京5区から旧民主党公認で出馬したが、自由民主党の小杉隆に敗れ、落選。 2000年の第42回衆議院