朝鮮で活躍していた頃の若き袁世凱 袁 世凱(えん せいがい、ユエン・シーカイ、拼音: Yuán Shìkǎi、英語:Yuan Shikai、1859年9月16日(咸豊9年8月20日) - 1916年6月6日)は、中国清末民初期の軍人・政治家。初代中華民国大総統。北洋軍閥の総帥。大清帝国第2代内閣総理大臣を務めたが、清朝崩壊後は第2代中華民国臨時大総統、初代中華民国大総統に就任。一時的に存在した中華帝国で使用された元号より洪憲帝と呼ばれることもある。 字は慰亭(いてい)、号は容庵(ようあん)。中華帝国時代は洪憲皇帝(こうけんこうてい、英語:Hongxian Emperor)と自称した。 生家は、官僚や軍人を多く輩出した地元でも指折りの名族であったため、袁世凱も若い頃から立身出世の強い願望を抱いていたという説があり、官僚を志して科挙に2度挑戦したが、どちらも試験に及第せず断念した。 科挙に合格