漢口事件(かんこうじけん/はんこうじけん)とは、1927年(昭和2年)4月3日、国民革命軍の北伐のさなか、現在の中国の武漢を構成する漢口では国民党左派と共産党による武漢国民政府が一時的に樹立されていたが、そこで起きた暴徒化した現地民衆による日本人・日本人商店襲撃とその際に起きた日本海軍による現地民衆に対する発砲事件。 日本海軍・日本人居留民の報告によれば、日本租界で日本海軍の水兵2人が中国人の子供に投石されたことを端緒に、現地民衆と日本人水兵の争いが発生、水兵の一人は近くの食堂に逃込んだが、その水兵が中国人を一人殺したとの噂が広まったことや同食堂ないし隣の料亭に他に複数の日本人水兵がいたことから争いが拡大、掠奪・破壊が始まった。居留民が暴行を受けた他、現場に駆けつけた田中副領事も民衆に殴打された。[1] 高尾享在漢口総領事と先任指揮官の協議で陸戦隊員120 人が上陸、抗議に来た中国人デモ隊