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shichihei-yamamotoに関するnabinnoのブックマーク (8)

  • 日本教についてのメモランダム

    ウェブ上での様々な記述を見てみますと,山七平の提唱した『日教』について,概念が混乱しているようですのでまとめてみました。 前提 1 宗教とは「人間の精神」を形成する根的なルールの集まりである。 宗教は,いわば,自分の良心,信念,意欲,家族,社会を形作るルール(憲法)である。 人間生活の根拠といってもいい。 (・・なぜ,これをするのか? に対する答えです。) それは,ある集団に共通する「思想」であり,その思想と自分自身の関係を繰り返して考えることによって,自分の行動に影響を与えるものです。 (ここらへんは多くの日人には極めて理解しづらいと思いますが,この前提がないと、日人にはキリスト教もイスラム教も,ひいては自分自身の行動さえも絶対に理解できませんよ) 2 日教とは,日人の伝統的思想体系である。 日人が縄文以前から現代に至るまで,さまざまな思想家,宗教家や,外来文化などに影響

  • 日本教 - Wikipedia

    教(にほんきょう)とは、「日人のうちに潜在的に染み込んでいる宗教」という意味の概念を表す山七平による造語である。奥山実は日教がすでに芥川龍之介によって語られていると指摘する。 山七平は『日人とユダヤ人』で日人は自分が日教徒であるという自覚を持っていないが、日教という宗教が存在し、それは血肉として日人自身も自覚しないほどになっているので、日教徒の日人を他の宗教に改宗させることが可能であると考えるのは「正気の沙汰ではない」という。山によれば日教とは、神ではなく人間を中心とする和の思想である。 奥山実は芥川龍之介の作品である『神神の微笑』で老人が神父に語ったことば「我々の力というのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」に注目し、「日は外来のすべてを日化してしまう」と指摘する。また、『おぎん』・『おしの』といった作品にも日教が現れているとする。奥

  • 日本教の構造 山本七平の研究 「日本教の社会学」より

    いただいたメールは返事と共に、原則としてこのサイト内で記録として掲示・保存してまいります。 もし差しさわりがあるようでしたら、あらかじめお申し出ください。 また問題あるメールの場合は、返信や、掲載をしない場合があります。ご了承ください。 このサイトは山七平が発見し研究した「日教」という概念・思想について、構造や、機能。 そしてそれが、質的に何を意味するのか。を、理解するために作成するものです。 総合的な山七平論であり、かつ私自身がどのように日と世界を理解しているかの試論でもあります。 山七平はすでに多くの著作により膨大な読者を獲得し、現在・過去・未来の日を考えるさいに大きな示唆をあたえる思想家です。 その独創的で切れ味鋭い着眼点と、数々の新概念は、日の将来を大きく左右するといっても過言ではありません。 しかし、いまだに全体像をとらえた評論がなく、またこの思想家の存在の意味を

  • Amazon.co.jp: 日本資本主義の精神 (B選書): 山本七平: 本

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  • 現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫) | 山本 七平 |本 | 通販 | Amazon

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  • 百人斬り競争 - Wikipedia

    百人斬り競争を報じる1937年12月13日の東京日日新聞。写真右は野田毅少尉 、左は向井敏明少尉(常州にて佐藤振壽撮影) 百人斬り競争(ひゃくにんぎりきょうそう)とは、1937年11月から12月にかけての南京戦において、上海派遣軍 第16師団歩兵第9連隊第3大隊副官野田毅少尉と同大隊砲兵小隊長向井敏明少尉が敵兵百人斬りをどちらが先に達成するかを、競争していると報道された話[1]。南京軍事法廷では、報道記事が証拠とされ両少尉は死刑の判決を受け、雨花台で処刑された[1]。 戦中は前線勇士の武勇談として賞賛されたが、戦後は南京事件を象徴するものとして[2]非難された[3]。戦後、多勝一の『中国の旅』で紹介され、これに対して鈴木明が『「南京大虐殺」のまぼろし』、山七平が『私の中の日軍』で、虚構性を論じたことにより一般に知られるようになった[4]。山に対して洞富雄が反論した[4]。 2003

    百人斬り競争 - Wikipedia
  • 山本七平 - Wikipedia

    七平(やまもと しちへい、1921年(大正10年)12月18日 - 1991年(平成3年)12月10日)は、日の評論家。山書店店主。評論家として、主に太平洋戦争後の保守系マスメディアで活動した。 経歴[編集] 年譜[編集] 1921年12月18日 - 東京府荏原郡三軒茶屋(現在の東京都世田谷区三軒茶屋)で、クリスチャンの両親(山文之助、八重)の間に長男として生まれる。名の「七平」は神の安息日(日曜)生まれから命名される。兄弟姉妹は姉2人と妹1人。両親は和歌山県新宮市出身。父方のいとこおばの夫は同市出身の玉置酉久(大石誠之助の次兄)。日マクドナルドCMOの足立光は甥[1]。 1937年 - 青山学院教会で洗礼を受ける。 1942年9月 - 太平洋戦争中のため、青山学院専門部高等商業学部を21歳で繰り上げ卒業する。10月、第二乙種合格で徴兵され、陸軍近衛野砲兵連隊へ入隊。その後、

    山本七平 - Wikipedia
  • 場の空気 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2020年5月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年5月) 出典検索?: "場の空気" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 場の空気(ばのくうき)とは、日における、その場の様子や社会的雰囲気を表す言葉[1]。とくにコミュニケーションの場において、対人関係や社会集団の状況における情緒的関係や力関係、利害関係など言語では明示的に表現されていない(もしくは表現が忌避されている)関係性の諸要素のことなどを示す日語の慣用句である。近年の日社会においては、いわゆる「KY語」と称する俗語が流行語となって以来、様々な意味を込

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